雪には舞ふ遊びわれには睡る遊び 斎藤 玄  評者: 深谷雄大

 斎藤玄は、一九八〇年五月八日、旭川の病院で死去した。六十五歳であった。一ヶ月前の四月八日、角川書店から第十四回蛇笏賞決定の通知を受けた。受賞の言葉の終りに、《この頃は俳句のおそろしさとむずかしさをひしひしと感じる。一日一日これに堪えて、生きる限り句作を続ける宿命なのであろう。》と述べている。
 上掲句は、その死をまぢかに覚悟した作である。玄の一番弟子であった近藤潤一の『玄のいる風景』に、この句について、これ以上は誰にも書けないであろう記述があるので引く。
 《ひろやかな句の風情に見えて、かなしい作である。玄には神経ブロックが利いたようである。麻酔剤による睡眠のみが、激痛を忘れていられる時間だったのではかならずしもないかと思うけれども、救いが眠りにしかなかったのは事実であろう。(中略)いま生の瞬刻は、うつうつたる夢うつつの中にある。その気配を、穏やかな破調で、対句ふうの二段構成にまとめて、まことにさりげないのである。玄最期の秀品の観がある。》
 私は、自分の若書きの頃の作を強く反省して、俳句は五・七・五=十七音を遵守しなければならないと考えているが、この句は、十九音(九音と十音の組み合わせ)にして深く胸に響き、浸透する。「俳句」一九八〇年八月号の「斎藤玄追悼」に、私はこの句を文の初めに取りあげている。意識水準が低下した状態で、譫妄状態のようにくちずさむきれぎれのことばを、夫人が口許に耳をつけて聞きとり、鉛筆で書きつけたものだという。
 
出典:『無畔』
評者: 深谷雄大
平成26年1月21日