直感は光より疾し蝶の紋 和田悟朗  評者: 花谷 清

 少年期の蝶との出遭いを作者の和田悟朗氏は以下のように記している―〝それまでに一度も見たことのない美しい蝶がひらひらと舞い降りて来て、私の行く前方の山路に止まった。日頃から夢を追うように求めていたギフチョウではないか、と直感した。私はすべてを忘れて捕虫網を振りまわし、何度かのしくじりの後、やっとのことで取りおさえた。翅を少しも損じることなく、三角紙の間に挟み込んだ瞬間のよろこびは、何にもたとえようがなかった〟―(随筆「春の舞姫」)。
 掲句の〈光より疾し〉は、ものの速さに対する特殊相対性理論の上限の破れを思い起こさせる。作者の深層にも相対論があるのだろう。〈光より疾し〉の物理としての真偽は問題ではない。仮に〈遅し〉だったら、俳句としてたるんでしまう。〈疾し〉と飛躍するからこそ、作品が虚実の狭間をまたがり重層的になっている。
 蝶好き少年だった作者に蝶を詠んだ句は多い。
   ペルシャより吹き流れたり蝶の紋  『法隆寺伝承』
   蝶紋の左右対称裏切らる      『人間律』
   蝶の昼ヘルマン・ヘッセ透きとおる 『座忘』
   約束や開いてみせる蝶の紋     『風車』
〈約束や……〉の句は、ヘッセの自伝的短篇の一節―〝あるとき、ぼくはぼくたちのところでは珍しい青いコムラサキを採集して、展翅した。それが乾いたとき、誇らしい気持ちになって、それをせめて隣の少年にだけは見せてやりたくなった〟―『少年の日の思い出(クジャクヤママユ)』(岡田朝雄訳)がうかがわれる。
 天敵から守るために進化の過程で形成された〈蝶の紋〉。それを少年は美しいと感じる。これらの句の〈蝶の紋〉は眼状紋だろうか。子供の頃に作者が手にされた珍しい蝶の翅のものとおもう。蝶の種類を見分けるのが、分析的思考ではなく、〈直感〉だという断定が心地よい。
 
出典:『風車』
評者: 花谷 清
平成26年4月1日