輪真珠の夜もうつくし草城忌 赤尾兜子 評者: 花谷 清

 掲句は、いわば兜子の〈失われた〉一句。没後に編まれた『赤尾兜子全句集』に収録されず、今まで殆ど採り上げられてこなかった。この句の存在に気づいたのは、「赤尾兜子とその代表句」をテーマとした勉強会(2007年)の準備のとき。レポーターに指名されていた筆者は、兜子作品を調べて、子規以降の現代俳人の忌日の句が詠まれていないことを知った。明確な師を持たなかったからであろうか。ところが、「現代詩手帖」に掲出の草城忌の句を思いがけなく見つけたのである。「輪廻」と題された長谷川龍生の詩とのコラボレーションの中にあった。
 兜子は、「白亜」(1956年4月号)で次のように回想している:京大の学生で、「太陽系」に所属していた、僕は藤沢耿二君のすゝめで、はじめて草城居を訪れた。(…中略…)僕は草城先生にあいたいという欲望に幾度か駆られた。先生の著作の大部分を古本屋で買求めて、貪り読み、その流麗で、モダンな文体にまで、魅了され、それだけに、一度、こういうものを書く人の正体を対決してみたいと考えていたわけだ。しかし実をいうと、その当時の若い僕としては、いささか怯気づいていた。モダンで、都会人的に洗練され、しかも明セキな頭脳の持ち主とあうには。僕は余りにも野暮ったい学生にすぎなかったからである———と。そして「靑玄」(1963年4月号)では:多くの人々を思いだす段になると、いつまでも印象に残る人はごく少ない。そんな意味からも、いちどきりの草城訪問は、かえって夾雑物がなく、わたくしの思い出としては、それがいちどきりであっただけに、よけいに、鮮やかに。いつでも記憶をよみがえらせることができるように思う。———とも述懐。
 掲句の〈輪真珠〉は、輪廻における〈時間の輪〉と〈人の繋がりの輪〉を暗示。日野草城が「靑玄」創刊号に掲げた箴言「俳句は東洋の真珠である」を踏まえている。草城へ敬慕の深さを示す作品だとおもう。
 
出典:「現代詩手帖」(1978年4月号)
評者: 花谷 清
平成26年4月21日