2018年2月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん 阿部完市 評者: 小野裕三 僕自身が俳句初学の頃に、もっとも憧れた現役の俳人はこの人物だった。いや、憧れたというより、嫉妬に近いものを感じた、というのがより正確かも知れない。どうやったらこんなめくるめく世界が作れるのか、という不思議は今も僕にとっ […]
2018年1月6日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム 半円をかきおそろしくなりぬ 阿部青鞋 評者: 小野裕三 一般的にはそれほど知名度は高くないけれど、もっと名前が知られてもいいのになあ、と思う俳人が幾人かいる。阿部青鞋は僕にとって、そのような俳人の筆頭である。この空恐ろしいほど卓越した独特のセンスを持った俳人を、もっと多くの […]
2018年1月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム 夏夕焼授乳の母を円心に 宇多喜代子 評者: 高橋修宏 「三月十一日以降 原発を円心として」という詞書の記された三十句の中の作品。 句集名ともなった「円心」とは、大辞林によれば「円の中心」という意味のほかに、仏教用語で「完全な涅槃を求める心」という意味をもつとされる。 ひとつ […]
2017年12月16日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム 鬱鬱と秘密保護法六林男の忌 鈴木明 評者: 高橋修宏 鈴木六林男は、2000年12月12日に逝った。 東日本大震災はもちろん、安保法案改悪、秘密保護法の制定と、時代が音を立てるように新たな〈戦前〉へと傾いていくなかで、もし六林男が生きていたら、何を語ったのか。そして、いかな […]
2017年12月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム 渤海へつづく卯浪に荒稲を 志賀康 評者: 高橋修宏 言葉によって想像された景色であるにも関わらず、一読して忘れがたいイメージを刻印する作品がある。歴史的想像力ということでは、与謝蕪村の「鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな」など著名な作もあるが、この一句はより悠遠で、かつ魅惑的な […]
2017年11月16日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム 卵食ふ口のまはりの寒波かな 藤谷和子 評者: 松王かをり 「卵」とは、何を食べているのだろうか。ゆで卵やだし巻き卵ではないような気がする。それは「口のまはりの寒波」から受ける寒さのせいである。唇についた生卵が、寒さで一気に乾いて白い薄皮状になる様が浮かぶ。しかし、「食ふ」と詠 […]
2017年11月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム 雪はげし書き遺すこと何ぞ多き 橋本多佳子 評者: 松王かをり 多佳子は、昭和38年2月、大阪の回生病院に入院、開腹手術をしたものの、すでに癌は胆嚢から肝臓まで浸潤しており、同年5月29日死去。享年64歳。掲句は、その入院の折、「雪の日の浴身一指一趾愛し」とともに短冊に書かれたもの […]
2017年10月16日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム 水涕や鼻の先だけ暮れ残る 芥川龍之介 評者: 松王かをり 「自嘲」という前書のある掲句を短冊に書きつけて、芥川龍之介(明25・3・1〜昭2・7・24)は自死した。そのため、この句が辞世の句であるかのように言われることがあるが、厳密に言うと、辞世の句ではない。 というのは、芥 […]
2017年10月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム へうへうとして水を味ふ 種田山頭火 評者: 加藤知子 山頭火(1882-1940)は水のソムリエかと思う。歩けば水が欲しくなる。おまけに大酒も飲むから喉が渇く。『行乞記』には水の美味さ不味さの記述が何か所かみえる。水は大事な生命線だが、一代自選句集『草木塔』全701句の内 […]
2017年9月16日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム 一つの屍茫々霧をへだてけり 鈴木しづ子 評者: 加藤知子 俳人鈴木しづ子(1919-?)は、「夏みかん酸っぱしいまさら純潔など」や「コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ」で余りにも有名。 昭和27(1952)年1月1日。それら代表句が収載された第二句集『指環』の発行日。奇し […]