絵硝子の裏に木の葉の降りつゞく 桂 信子 評者: 船矢深雪 

 聖画のステンドグラスを仰ぎながら注がれる光線を受けて佇んでいる作者の胸に去来するものは何だろうか。
 ザビエル記念聖堂と前書のあるこの句に魅かれている。
 絵硝子を透かしては見えないが、戸外には木の葉が降りつづいているのである。音もなく降り続く木の葉は、この世での役目を終えて、今、大地へ還る。
 愛しきものへの別れは寂しく切ないが、悲しみを堪えて見上げれば天地創造に由来する聖画の絵硝子が、悩める人間を優しい光で包み見守っていて下さる。
 オルガンが微かに響いてくる此処自体が天国であり、音もなく降りつづく木の葉は、木の芽から新緑の木々夏の樹と、せい一杯の生命を全うした循環する自然界の黄昏の合唱である。落葉の冬はやがて春へ。
 哲学者レオ・バスカーリアが生涯に一冊書いた絵本「葉っぱのフレディ」―いのちの旅―を思い出させる。
 俳人桂信子は日野草城を師とし、西洋文化から学んだモダニズム産土の浪華の豊かな文化を内包して「平明で深い」詩性を表現する。九十歳迄現役の桂信子全句集(宇多喜代子編集―ふらんす堂)の頁を繰りながら、作品五二一八句に感嘆する。
 その年代ならではの女性の感性に、凛とした気魄に、透明清澄な詩性に、自力の大鷹を感じる。第二十六回蛇笏賞受賞。

出典:第八句集『樹影』
評者: 船矢深雪
平成23年10月11日