北風の少年マントになつてしまふ 高 篤三 評者: 林 桂
高篤三は、明治34年6月2日東京浅草に生まれ、昭和20年3月10日東京大空襲の災禍によって浅草に没した。作品は、生前の個人句集『寒紅』(昭和15年)と合同句集『現代名俳句集第二巻』(阿部青鞋編・昭和16年)で「ほぼ全貌」(川名大)と言う。もちろん、この二つとて手に取れるものではない。しかも、『寒紅』の収録句は僅かに三十三句とも言う。他に幾つかの手作り句集の存在が伝えられているが、現在では確認できていないようだ。伝説の俳人となるにも作品が少なすぎる状態だ。ところが、その作品を、細井啓司が収集し全句集にあたる『高篤三句集』を編んでいることを最近になって知った。これは私の怠惰に原因があったようなのだ。
慶応大学の学生だった渡辺白泉が敬愛したという「マイナー・ポエット」(川名大)高篤三の世界は、市井人の精神に貫かれた純粋性を持っている。川名はその世界を「新詩精神(エスプリ・ヌーボー)の句」と「郷愁としての少年少女の世界」と言う。前者こそ高が新興俳句の俳人に挙げられる所以であり、多くの引用句はここからなされている。私が今回挙げたのは後者に属する句である。旧制中学くらいの少年であろうか。懐旧の自画像か嘱目かは不明だが、市井の生活への眼差しに暖かみがあって、一読忘れがたい句となった。
高の俳句に戦争は殆ど現れない。敢えて言えば「戦へる元朝固き顔洗ふ」(昭和19年)一句のみである。誤解を恐れずに言えば、戦時に戦争とその精神を書かずに自分の詩世界のみを維持することは、何か別の強い信念がない限り難しいであろう。自分の詩語を汚さない自恃心があってこそ可能である。情況に加担しないだけで大変な時代があったことを、高の清潔な言葉が教えてくれる。
出典:『高 篤三句集』(細井啓司編著)平成3年5月30日現代俳句協会発行
評者: 林 桂
平成27年6月1日