少年よ國家より一人の友をこそ 坂戸淳夫 評者: 林 桂
新聞が李香蘭の未発表の音源が二曲発見されたと伝えている。昭和19年11月に録音された大木惇夫作詞(大木あまりの父)、古賀政男作曲の楽曲という。未発表になった詳細は不明だが、「作詩不良の為発売不能」と社の記録が残されているという。戦地に赴く兵士の心情を「故しらず 涙落つるを」と書いたのが原因ではないかと言う。現在から見れば別れの一般的心情であろうし、定型化された表現にさえ見える。検閲か自粛かは知らず、個人の心情の吐露がここまで追い詰められていた戦時を今は心に留めておくべきだろう。
掲句は、坂戸惇夫の最後の句集『彼方へ』の巻末に置かれている。坂戸の遺言のような句なのだ。「國家より一人の友をこそ」は、戦後情況の中で可能な表現だ。そして、この重さに想像が働かない若手には、形骸化された当たり前の言葉としか読めないらしい。「読まれたかった俳句」(現代俳句協会青年部シンポジウム)に、外山一機はこの一句を提示した。言わば「少年よ」と呼び掛けられた世代として読むべき句と提示したのだが、少年少女達は読む気も読む力もないことを恥じなかった。提示者の外山の孤高だけが信頼に足りた。同時代的、共時的な狭い時間のスケールでしか読めない人に、本当に「読まれたかった俳句」は降りて来ない。だから、彼らは眞鍋呉夫の遺書というべき『月魄』も読めないだろう。しかし、「国家が大事と思う思想を徹底的にパロディー化」(仁平勝)する仕事をした攝津幸彦は、戦後生まれで、少年の前世代である。前世代の仕事を検証せず、読まないではじめる俳句とはなんであろうか。私など「国家よりワタクシ大事さくらんぼ」(攝津幸彦)と駄目押しまで書かなくてもと思ったが、攝津の方が眼が明るかったようだ。
出典:『彼方へ』2008年6月10日騎の會発行
評者: 林 桂
平成27年6月11日