夏みかん酸つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子 評者: 森須 蘭

 伝説の鈴木しづ子が生誕して、約百年になる。残っているものは、美しい写真姿とその俳句だけ。昭和27年9月15日付の俳句が、その消息の最後である。大正8年生れ、『春雷』『指輪』と20代のうちに二冊の句集を出し、姿を消した。しづ子のその後の人生が、どんなものだったかは、誰も知らない。一説には、北へ行ってつましく暮らしたとか、ケリー・クラッケの祖国へ渡ったとか、様々な噂がしづ子象を余計に謎めいたものにしている。黒人兵、ケリー・クラッケと恋に落ち、「必ず帰って来るから」という彼の言葉を信じた結果、朝鮮戦争での怪我がもとで、ケリーは祖国で亡くなる。
  ダンサーになろか凍夜の駅間歩く  しづ子
 あまりにも同じ様な境遇で、同年代の女性として、「横浜メリーさん」を思わずにはいられない。やはり米軍将校と恋に落ち、「待っていてくれ」という言葉を信じて朝鮮戦争へと駆り出されてしまった将校を待ち続けたメリーさん。私は、学生時代を横浜で学んだため、メリーさんの出没する「元町」「外人墓地」「伊勢佐木町」で何度もメリーさんと遭遇したことがある。初めて目にしたメリーさんは、時代錯誤とも言える真っ白なロングドレスを着て、白い手袋に白い日傘をさして歩いていた。まだ高校生だった私は、その異様な出で立ちと、真っ白に塗られたお面のような顔にびっくりして、暫く立ち止ったきり動けなかった。「あれが港のメリーさんよ」と傍らの友人に腕を引っ張られ、まるで見てはいけないものを見てしまったかのような衝撃を受けた。
 後で考えると、その頃のメリーさんは、ちょうど現在の私と同年の50代のオバチャンだったのだが、老婆とも魔女とも言い難い印象だった。74歳まで横浜の街に娼婦として立ち続けたメリーさんだったが、後に老人ホームに入り、激動の84年の人生をそこで終える。私がメリーさんを目撃したのは、彼女が50代から60代の頃。彼女が通るとそこだけセピア色に風景が変わったのをよく覚えている。
 さて、同じく娼婦の道を辿ったとされる鈴木しづ子だが、まさかメリーさんと同様な人生を送ったとも思われない。いや、もしかしたら、娼婦として身をやつし、最後は悲惨な姿だったのかも知れない。20代で姿を消したしづ子は、メリーさんの様に、「白塗りオバケ」と称される徹底した人生を我々に想像させないだけ反対に美しい。二人はコインの両面のような生涯だっただけに(しづ子が生きているとしたら、98歳になる)、今後もしづ子は神話のような存在であり続けて欲しいと願う。

「現代俳句」(昭和26年12月号)所収

評者: 森須 蘭
平成29年5月8日