夏夕焼授乳の母を円心に 宇多喜代子 評者: 高橋修宏
「三月十一日以降 原発を円心として」という詞書の記された三十句の中の作品。
句集名ともなった「円心」とは、大辞林によれば「円の中心」という意味のほかに、仏教用語で「完全な涅槃を求める心」という意味をもつとされる。
ひとつの連作と呼べる作品の中で、直截に原発自体を指示す言葉は、ほとんど使われていない。それにも関らず、いや、それゆえに「詞書」と照応するように一句一句に彫琢された言葉の深淵に立ち止まらずにはいられないのだ。
掲出の作品は、何も声高に詠まれていない。しかし、平明な比喩に見える手法の中に、沈潜した批評性が込められた、祈りにも似た一句である。そこには、「完全な涅槃を求める心」も同時に読み取るべきなのかもしれない。さらに連作の悼尾に置かれた、「秋はじめ円の内外に同じ風」。私たち自身の知覚では、けっして「風」の違いが感知できないがゆえに、ただ底無しの不安だけが静かに喚起される一句だ。
かつて筑紫磐井は、幕末から明治維新までの時代を導いた「違勅」という言葉を、大佛次郎の著作から引用し、現代にあっても、そのような時代を回天させる言葉を求めるのが詩人の役割ではないかと記していたことがある。もしやすると作者の名づけた「円心」という言葉も、「三月十一日以降」を導く回天の言葉のひとつであるのかもしれない。
出典:『宇多喜代子俳句集成』(角川書店)
評者: 高橋修宏
平成30年1月1日