半円をかきおそろしくなりぬ 阿部青鞋 評者: 小野裕三

 一般的にはそれほど知名度は高くないけれど、もっと名前が知られてもいいのになあ、と思う俳人が幾人かいる。阿部青鞋は僕にとって、そのような俳人の筆頭である。この空恐ろしいほど卓越した独特のセンスを持った俳人を、もっと多くの人に知ってもらいたいと感じる。
 この句は、とてもシンプルで、しかしながら何かの世界の核心のようなものをずばりと突いている。それは、一寸の狂いもなく。だがしかし、だとするならそこでの「核心」とは何なのか。言うまでもなく、この句は有季でも定型でもなく、いかにも俳句的ではない。しかしそれはただ単に俳句のルールに逆らっているというより、俳句やそれを含む人間の文化的な営み、さらに言えばそれを取り囲む自然界の営み、それらをすべて超越している、と考えたほうがよい。
 鍵はもちろん、半円にある。円型(あるいは少なくともそれに近しい形)であれば、実は自然界にけっこう存在する。水の波紋などがそうだろう。円はある意味で自然界の力のバランスに叶っているからだ。しかし、半円となればそれはむしろ幾何学の世界になる。抽象の世界だ。それは人間の文化や、さらには自然界の存在も超えた、どこか時間を超越した抽象性とも言える。そのようなものを前にした人間の感情は、もっとも根源的なものを前にした感情となり、どこか「恐怖」のようなものが混じるのも理解できる。それは人間の中に横たわるもっとも深層の感情のようにも思われ、であるがゆえにそれはどこか圧倒的な感情でもある。表面的なルールだけではなく、きわめて根源的な部分で俳句という枠を超えたものとして、強い存在感のある句となっている。

※『俳句の魅力 阿部青鞋選集』(沖積舎)

評者: 小野裕三
平成30年1月16日