ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん 阿部完市 評者: 小野裕三
僕自身が俳句初学の頃に、もっとも憧れた現役の俳人はこの人物だった。いや、憧れたというより、嫉妬に近いものを感じた、というのがより正確かも知れない。どうやったらこんなめくるめく世界が作れるのか、という不思議は今も僕にとって謎のままだ。そんな氏には、たった一度だけ結社の集まりでお会いしたこともある。
この句は一見して、不気味で不穏なものと映る。蝋燭に照らされて、裏切り者たちの顔が少しずつ少しずつ遠ざかっていく。その先には、どこか血に塗れた暗い世界も思わせる。しかしながらその一方で、この句はどこかコミカルでもある。お伽噺や民話の世界にも通じるし、もっと言うならアニメーション漫画のようなものすらも感じさせ、何か不思議な動きのようなものがそこにはある。それも、どこか永遠めいたような動きが。
その理由は、彼が採用した表記方法だろう。この句を、「蝋燭持って皆離れてゆき謀反」とするなら、この場面はぐっと輪郭が収束する。だがその半面、元の句が孕む不思議な動きのようなものがぱたっと止まってしまうように思う。謀反でなくむほん、蝋燭でなくローソクと、どこか幼稚な表記を採ることでこの句に注ぎこまれたコミカルさやシンプルさは、それゆえにこの句を現実界から引き離し、永久運動にも似た不思議な動きを作り出す。少なくとも僕の頭の中では、このむほん人たちは、反復されるアニメーションのように、ローソクの薄明かりの中でいつまでもいつまでも後ずさりを繰り返しているのだ。
※『阿部完市句集』(砂子屋書房)
評者: 小野裕三
平成30年2月1日