無神の旅あかつき岬をマッチで燃し 金子兜太 評者: 松田ひろむ

 母親にとって、子供はいくつになっても子供という。
 ここでは「与太」といいながら、わが子を眼を細めて見ている様がうかがわれる。

 作者もまた「与太」と言われることに満足している風が楽しい。
「夏の山国」と、ややぶっきらぼうに置かれた季語が、おおらかで言い換えれば、いかにも「与太」らしい。(「与太」は東京落語の与太郎から出た言葉。)

 この句には書かれていないが、すでに百歳を超えた母なのだ。
 次の句のように老母と言いながら、それがテーマになる幸せ。
 老母指せば蛇の体の笑うなり
  蟬時雨餅肌(もちはだ)の母百二歳
 おうおうと童女の老母夏の家
 白餅(しろもち)の裸の老母手を挙げる

この句には谷佳紀の鑑賞があった。「久々に訪ねてみれば、開け放された家の中で、搗きたての餅のようにふっくらぺちょんと坐り、暑さを避けている裸の老母。おお来たか、私は元気だよというようにふんわり手を挙げた。」(「海程」)とあるが、いかにも白餅がいい。兜太(とうた)の母は、蛇・蟬時雨・裸といつも夏の風景のなかで笑っている。

※金子兜太先生を偲び、2004年の現代俳句データベースコラムから再掲載いたしました。

評者: 松田ひろむ
平成30年5月7日