滝がうがう何纒ひても無一物 渡辺恭子 評者: 倉橋羊村

 滝の前に立つと、借りものは一切通用しない。持って生まれた素質と、自覚して努力を重ね、辛うじて身についたものだけで、立ち向かわざるを得ない。表面的に学んだ知識などすべて借りものである。水原秋櫻子の「冬菊のまとふはおのがひかりのみ」の句と、どこかで照応するのが興味深い。「無一物」は禅語と決めつけなくてもよいが、この語の重さも一句の中で無視しがたい。その潔さが一方に生きるから、奥ゆきが深いといえよう。
 
評者: 倉橋羊村
平成14年7月1日