見えているだけで安堵や冬大樹 橋 閒石 評者: 和田悟朗

 橋閒石第七句集『和栲』(昭和五十八年)所収。閒石は晩年、四空窓と名告って神戸の垂水に住んでいた。「四空窓」という号はかっての連句の師、寺崎方堂から譲り受けたものだ。四空とはもちろん東西南北のすべての方向を指すのだが、そのどちらかの方向に冬の大樹が見える。何の木か判らぬが、冬だから落葉樹であろうか。すでに高齢の閒石は、出歩いて見てまわるということはせず、窓から落葉した大樹が見えるというだけで気分が落ちつくのだ。閒石は古い記憶をなつかしみ、現実の光景に、過ぎ去った古い体験の光景を重ねて、時間の経過を通し、極めて単純化した一本の大樹を、集約された「抽象」として見ているのだろう。
 
評者: 和田悟朗
平成17年1月31日