娘顔いつか母顔梅は実に 宮脇白夜  評者: 加藤光樹

 作者は母校の俳句同好会の代表だが、俳句という共通の趣味で結ばれているだけで、師系、作品の傾向などは全く多種多様の集団である。その自由度こそが校風そのものであった。作者は不治の難病と戦いつ結社の主宰を勤める傍ら、同好会の指導的役割を果たしてこられた。
 遺句集となった『寝園』は亡くなられる前月に上梓されたもので、すでに黄泉路に発たれたとは知らずに、私は句集の頁を追っていた。この一句は巻末に近く、さり気なく読み過ごしそうな句なのに何故か釘付けにされてしまった。それは「娘顔」にも「母顔」にも奥様のお顔が眼に浮かんできたからだ。作者は職を退かれた後の十数年の大半を闘病しつつ句業に励まれており、句会や各種行事に参加される際には奥様が作者の不自由な歩行を助け、自家用車の運転手も勤めるなど、陰で支える大変な仕事を献身的にされていた。
 そのほか奥様の細やかな心遣いに対して作者が抱いておられた感謝の気持の表れがこの句であり、「娘顔いつか母顔」とは作者に対するいたわりの気持の微妙な変化であると思う。
 「娘顔」には愛くるしさが感じられ、顔の主には甘えの気持もあるやに見える。「母顔」となると母親が子に対するように優しく病む夫に接している温かみを感じる。それを充分に理解して受け止めておられた作者が自分の気持をさりげなく表現したものと思う。そこには永年に亘って培われた固い絆の上にこそある深い愛情の温もりが覗える。季語の「梅は実に」にも花だけに終らず永遠に続く、見えない力を示唆しているように読みとれる。

出典:『寝園』(平成二十一年六月刊)

評者: 加藤光樹
平成21年11月1日