れんぎょうに巨鯨の影の月日かな 金子兜太  評者: 松本勇二

 第十一句集「皆之」に所収された一句。連翹の黄色がまずは目に浮かぶ。その黄色は春真っ盛りを象徴する黄色だ。それに合わせたのが巨鯨の影。このスケールの大きさは兜太先生でないと書けない大きさでまさに面目躍如。また、この二者の距離感は読む者に途方もなく大きな空間を与えてくれる。感覚で繋いだ二物で、先生の多くの二物配合の句の中でもその壮大さは抜きんでている。下五の「月日かな」に時間の経過がうかがえる。先生六十七歳のころの作品なので、海程を率いてかなりの年数を経ている。先生の意識の中に巨鯨の影がいつも見え隠れしていた。その巨鯨はトラック島から引き上げる時に見た、或いは想像した巨鯨ではなかったろうか。引き上げてからも時折その巨鯨の映像が頭を過っていたのかもしれない。青鮫が来ていた庭に鯨も来ていたようだ。感覚で書けと言われた先生の顔が浮かんで消えない。
 平成十五年海程会賞受賞のときいただいた色紙が当該句である。筆者四十六歳で三人の子育て真っ最中であった。巨鯨の影を自己に投影し、こじんまりせず大きく大きくと言い聞かせながら俳句も仕事も子育てもやっていた。俳句に生かされていることを少なからず意識したのもこの頃であったように思う。この句を先生が書かれた年齢までまだ数年ある。先生がこの句を与えてくれたことを噛みしめ、この句のようにスケールの大きな人間でありたいと思っている。
 
※『現代俳句』2018年7月号金子兜太追悼特集「忘れ得ぬ一句鑑賞」より
評者: 松本勇二
平成31年2月5日