洞の木や蝶の骨など重りて 柿本多映 評者: 中村和弘

 作者の蝶による情(こころ)、こだわりようは尋常ではない。全句集を調べた訳ではないが、揚羽蝶等を含めると蝶を詠んだ句はかなりの数になる。そして秀句も多い。気付いた秀句を揚げると、<蝶食うべ二度童子(ふたたびわらし)となりにけり><蝶の死を蝶が喜びゐる真昼><回廊の終りは烏揚羽かな><苔庭も烏揚羽も焦げてゐる><人体に蝶のあつまる涅槃かな><非時(ときじく)の蝶が白山山系に><このゆふべ柩は蝶に喰はれけり><揚羽過ぎつめたき昼の間かな><器から器へのびる蝶の舌><空気より淋しき蝶の咀嚼音>等々。作者にとって、これはもはや俳句の季語、素材としての蝶ではない。作者のテーマ、詩の核としての現実、非現実、抽象、具象まとめての<蝶>なの、である。まず、この一貫した作者の執着に強く魅かれる。木の洞は、木の死んでいる部分である。落葉、水なども溜り、ときに虫の骸も集まる。そして死臭とも言うべき臭気を放つ。が、そうばかりではない。どこからか舞いこんだ種子が芽吹き、昆虫菌類なども育つ。つまり死と生の修羅場の凝縮された様相を同時にあわせ持つ。そんな洞の一つに蝶の骨等が重なり堆積している。美しき蝶の、人知れぬ墓場である。蝶にこだわり続けてきた柿本多映という詩心のみに見えてくる象徴的な、アニミズム的な<蝶の墓場>と言ってよいであろう。そして、それは再生のドラマの始まりかもしれない。

出典:『花石』

評者: 中村和弘
平成22年1月21日