転倒のしばらくはこんな静かな地平 岡崎水都 評者: 金子 徹
野を歩いているうちに転んでしまった。仰向けになって、しばらく草の上でじっとしたまま、別世界のように静かな地平の平穏を味わっている。転ぶ前の慌ただしい生活が嘘のようで、転んでみて初めて得た実感である。単なる報告詠ではない。定型ではないが、終結に向けて流れるリズムがあり、地平との一体感がそのまま句になっている。有季定型の従来の句柄では作れない内容である。
まさに、“転んでもただでは起きぬ”俳人の面目躍如たるものがある。
作者、岡崎水都は、広く知られている俳人ではないが、昭和35年ごろ、高柳重信の「俳句評論」広島支社長をするなど活躍している。静岡県富士宮市に移住してから後は、島田市「主流」(田中陽代表)に拠り、口語俳句の作風で数多くの秀句を残している。従来の俳句情緒を脱却し、季語や定型に拘らず詩的感動の赴くまま自由な発想から書き進める姿勢を貫いた。この姿勢“一人一派の達成をめざす自己研鑽の集合体”の旗印のもと、俳誌「羚」を創刊した。この時の想い【満月の夜を発つ名もない魚族の列】の句は、句集名として『魚族の列』にとどめている。
霧の五戸よるは夜霧のともしび五つ 水都
これは、晩年住む地になった富士山麓での句。一かたまりの家が霧の中にある。夜になって家々のともしびが霧の中に浮かび上がってくる。霧の中に相寄る五戸の暮らしが温かく感じられる詩情豊かなこの句は、水都の住居に近い「天子の森」キャンプ場入口に、句碑として建っている。
出典:『魚族の列』(平成9年刊)
評者: 金子 徹
平成23年6月11日