女の靴が離れて脱いである さくら 田中 陽 評者: 金子 徹

桜の下での花見の宴席。敷物の縁にぐるっと並べてある履物、ちょっと間隔をあけて女の履物がある。ほとんどが男で賑やかに騒いでいる中に、遠慮がちに参加している女の姿が垣間見られる。この句の結句、一字空けての<さくら>の配置がみごと。まさに口語俳句ならではの、あらわし方である。結句の<さくら>は全景の表象であり、この句の女の象徴でもある。
 作者、田中陽は、口語俳句協会幹事長。口語俳句協会は、戦後一貫して現代語表現で現代に生きる俳句の方向を提唱し活動続けてきた。協会設立時、市川一男の「くらしのなかの/よろこびとなげきを/やさしいことばで思いをこめて!」の、言葉に、口語俳句のありようが端的に述べられている。田中陽の句には、常に人間があり、人間を通して存在する現実の真の姿を、捉えようとしている。
  座禅崩れて女人のあうら見てしまう  陽
 昨年秋、県の現代俳句協会で、“吐月峰”で知られる静岡、丸子の柴屋寺へ、吟行句会出かけたのであるが、名勝の庭を眺めながら句にする俳人の多い中で、当日、寺の本堂で座禅をしているグループを見続けていたのは、田中陽。座禅を終わって解放された女性の姿を見逃さなかった。
  雨を女が帰るとにわかに深くなる秋だ  陽
 この句は、『戦後口語俳句』集中の一句。田中陽の、女性を詠んだ句だけを取り上げたが、硬骨漢、田中陽の切り取る“女”には、常に女を通した人間の生きざまが存在する。
 
出典:『戦後口語俳句』(2001年刊)
評者: 金子 徹
平成23年6月21日