元日の大地素足になりにけり 井上弘美 評者: 橋本 直
句集を読んでいて、初読、一瞬意味が分からなかった。無意識に「大地が素足に」と読んでしまったからだ。それはそれで高濱虚子の「年を以て巨人としたり歩み去る」風の比喩とも読め、それなりの面白さはあるが、「大地」はどうもぼんやりしていて実感をともなわない。作者はそのような詠み手とは思っていなかったから戸惑った。
次に続く句が「若水や布いちまいのビルマ僧」「白牛の固まつて来る淑気かな」であることでなるほど、と思った。どうやら作者は、新年をはるか南方の地で迎えていたらしい。日本と彼の地との隔たりは、例えばいまPCで「ビルマ」と書く時、ワープロソフトがいちいち「ミャンマー」と訂正変換をしてくれようとすることでもよくわかる。
何故に作者がそこにいたか真の理由は存ぜぬが、かつて帝国時代に日本が英国とぶんどりあいをし「南方」と呼ばれた地域の一つであるから、日本と無縁ではない。そして「大地」はかの地にはふさわしい形容かもしれない。続きの句から戻って読めば「元日の大地」で切れ、作者が素足になってそこを踏みしめたものとも理解された。
季語の本意、というファンタジーにことにこだわる手合いには、このような詠みぶりは不愉快に映るだろうか。「元日」「若水」「淑気」が日本の新年のあの冷気を伴わないからだ。しかし、元日は素足であることにより、若水はビルマ僧と、淑気は白牛と取り合わされることによって、確かに凛としたたたずまいを醸している。井上氏は連作俳句にも造詣が深いから、ここではその方法も意識していたのかもしれない。
出典:『汀』
評者: 橋本 直
平成24年1月1日