一本落葉松 しみじみ 日傘さす妻で 伊丹三樹彦 評者: 久行保徳
駅前の書店でよく立読みをしていた。今のように立読みが歓迎されない頃であったが、当時のこの店は結構繁盛していて余り気にならなかった。
昭和四十二年の春であったろうか、例のごとく奥まった所にある詩歌コーナーで本日の逸品を物色していた。
ふと斜の棚にあった一冊の文庫本の背表紙が目に留まった。楠本憲吉著の『戦後の俳句』(社会思想社刊)で、手に取りページを捲って斜読みを開始した。
そのころは詩に惹かれていたのだが、俳句も案外面白いという思いが湧いて来ていて、二百四十円のその一冊を買い求めた。
家に帰り早速読み始めた。第一部の「戦後の俳句」では、上段に俳句、下段に戦後俳壇の流れが書かれてあり、素人には解らないなりにも興味深く読んだ。
第二部の「戦後の秀句」では、楠本憲吉の解説に、そんなものかと頷きながら読み進んだ。今にして思えば骨格正しい俳句もあれば、極めて情念的なものまで俳句の楽しさを味わった記憶がある。そして巻末の一句が、伊丹三樹彦の上掲句であった。
俳句は一行棒書きの知識しかなかったが、後に分ち書きや多行形式、自由律などを知ることとなる。
導入部の「一本落葉松」の、その歯切れのよい単音も実に新鮮であった。
ともあれ、石川啄木のふるさと渋民村での、伊丹三樹彦の作品が二十代前半の若い僕を麻薬のように俳句の虜にし、そして瞬く間に四十五年の歳月が流れた。
愛妻家を公言してはばからない三樹彦の、
虞美人草 只いちにんを愛し抜く
の、昭和五十七年の作もある。
定型と現代語の問題で、逆風に立ち向かっていた若き日の三樹彦のバイタリティーと、その詩的営為が懐かしい。
出典:『樹冠』
評者: 久行保徳
平成24年2月11日