三月十日も十一日も鳥帰る 金子兜太 評者: 高野ムツオ

 この句の発表は十月だから、震災の悲劇に直面しての即吟ではない。むしろ、この時間認識は災禍から一年以上を経た今の思いとして読むべきもののように感じられる。私は、角川「俳句」三月号の小澤實との対談で、この句の三月十日は震災の前日、つまり、何事もなかった平常時、そして、十一日は予想だにしなかった悲劇に見舞われた日、その変転の二日を並べたものとして鑑賞した。渡り鳥にとっては、人間が平穏無事の日も大被災の日も、なんら関わり合いがない。いずれも人間以上に生きることに必死の日々なのである。そして、その必死の日々を当然の日常として生きてゆく鳥への畏敬の思いの句であると鑑賞したのである。
 雑誌が発売になってまもなく、読者から一葉のはがきが舞い込んだ。その人の鑑賞では、この三月十日は東京大空襲の日ということであった。殊に当時の体験者には、それ以外には読めないとも記されてあった。なるほどと頷いた。そうであれば、十日、十一日は人間が引き起こした災禍の日。そうした人間世界とは関わりがなく、渡り鳥は渡り鳥として日々生きているということになる。
 どちらの読みをとっても、句にこめられている批判精神の高さは損なわれることはないだろう。私が前者に読み、はがきで教示してくれた人が後者の読みとするのは、たぶん、それぞれが生きてきた時間や時代の相違ということになる。それが鑑賞にも反映したのだ。ちなみに作者の金子兜太はどちらだったか。仄聞したところでは、どうやら後者の方であるようだ。

出典:「海程」(平成23年10月号)

 評者: 高野ムツオ
平成24年5月21日