祈るべき天とおもえど天の病む 石牟礼道子 評者: 堀之内長一
「1950年代を発端とするミナマタ、そして2011年のフクシマ。このふたつの東西の土地は60年の時を経ていま、共震している」――石牟礼道子との対話『なみだふるはな』(2012年3月刊)の序にある藤原新也の言葉である。
さる7月31日、国の水俣病被害者救済法に基づく救済策の申請が締め切られた。石牟礼氏は珍しくテレビのインタビューに答えて、とつとつとせつせつと、ゆるやかに首を振りながら、この非情について語っていた。いてもたってもいられないという、静かな衝迫に満ちて。でも、詩人の言葉はどこにも届かない。でも、本当にどこにも届かないのだろうか。
句集『天』は、四半世紀ほど前に、天籟俳句会の穴井太氏(1997年逝去)の手により刊行された。収載作品は41句。穴井氏の友人で画家の久住賢二氏の装画とともに、見開きに1句ずつ収められている。穴井氏は、掲句が、石牟礼氏の文章とともに、新聞(1973年8月1日、新聞名は不明)の学芸蘭に掲載されたときの感動を「句集縁起」と題した解題のなかで綴っている。この句に秘められた思いを述べた石牟礼氏の言葉を、いわば貴重な証言として、孫引きして紹介してみたい。
〈地中海のほとりが、ギリシャ古代国家の遺跡であるのと相似て、水俣・不知火の海と空は、現代国家の滅亡の端緒として、紺碧の色をいよいよ深くする。たぶんそして、地中海よりは、不知火・有明のほとりは、よりやさしくかれんなたたずまいにちがいない。〉〈そのような意味で、知られなかった東洋の僻村の不知火・有明の海と空の青さをいまこのときに見出して、霊感のおののきを感じるひとびとは、空とか海とか歴史とか、神々などというものは、どこにでもこのようにして、ついいましがたまで在ったのだということに気付くにちがいない。〉
石牟礼氏の想いの果てが、やがて断念という万斛の想いを秘めながら、この句に結晶していったと穴井氏は言う。現代国家の滅亡の端緒として。何ときりきりとした言葉であろうか。同じ悲惨を繰り返しては……ならない、と、ひとり思う。
出典:石牟礼道子句集『天』(昭和61年)
評者: 堀之内長一
平成24年8月31日