裂け目より柘榴真二つ汝(な)と分かたん 中島斌雄 評者: 松岡耕作

 戦後間もない世相人心ともに混乱の焼け跡から、やっと復興のきざしが見え、ラジオから「リンゴの唄」や「鐘のなる丘」が聞こえ始めた昭和二十二年の作。灼熱の太陽に焦げた赤褐色の割れ目から、まさにルビーをちりばめたような柘榴の実が溢れている。自然がもたらしたその「裂け目」から真二つに割って分かち合う感触は、胸が疼くような甘酸っぱい青春の味である。俳句にもこんなロマンがあるのだと思わず身震いしたものだ。
  子へ買ふ焼栗(マロン)夜寒は夜の女らも
  雲秋意琴を賣らんと横抱きに
  爆音や乾きて剛き麦の禾
  蟇産み終うわが詩いささか晦渋に
  鯉裂いて取りだす遠い茜雲
 中島斌雄は明治四十一年生まれ、小野蕪子に学び「ホトトギス」を経て昭和二十一年「麦」を創刊主宰、七十九歳で昭和六十三年死去。
斌雄は「麦」創刊に当り「麦は大地であり季節であり又生活である。」を「麦の言葉」とした。その後「社会性俳句への方途」「現代俳句創造への道」「新具象俳句の提唱」など、殊に俳諧史を専攻した国文学者としての理念をもとに、実作者としての立場から、「現代俳句の課題」に対する数多くの提唱や評論を残した。
 斌雄は、昭和四十三年北軽井沢の奥深い山中に小さな別荘「月士山房」を建てた。休暇などを利用して大学教授の激務から逃れ、浅間連山が遠望できる山房に籠もり、そこで多くの評論や作品を創出したのである。平成二十年秋、斌雄の生誕百年を記念して、思索、詩作のゆかりの地であった北軽井沢で「麦」の全国大会が開催された。山房の周りは靴が埋まるほどの落葉の嵩で、ヴェランダなど外回りは朽ち果てていたが、生い茂った高木のもと、山房はそのままの姿で残り、斌雄のありし日を偲んだ。

出典:『中島斌雄全句集』
 評者: 松岡耕作
平成24年12月11日