春山の腰のあたりを越えゆけり橋 閒石 評者: 山口木浦木
この句の魅力は何か。一言でいえば、艶やかな擬人法だろう。
「春山の腰のあたり」という表現がポイント。「春山」と「腰」を他の言葉に置き換えてみたらどうなるか。
春山ではなく夏山、秋山、冬山ならどうか。この句の主眼が艶めかしさだとすれば夏秋冬ではそれを醸し出せない。稜線のはっきりしない春山のふんわりとした感じが夏秋冬にはない。加えて「春」という語のもつイメージが色香と最も結びつく。
腰はどうだろう。身体の他の部位はどうか。主題の艶めかしさからして「腰」も動かないのではないか。頭、首、肩、腹、足などを想像してもしっくりこない。
まさしく「春山の腰」こそがこの句の命。「あたり」という言葉でさらにとらえ所のない春山を強調している。
こうした句が生まれる背景には作者の登山好きがあるのではないか。山登りもしないでこんな面白い句はできない。
「春山」と「腰」という二つの材料(名詞)をうまく結合させただけで、こんなにもシンプルで奥行きのある句が生まれる。少ない材料で読者を魅了する典型例ではないか。
出典:『和栲』
評者: 山口木浦木
平成25年2月10日
平成25年2月10日