船医上陸ジャカランタ青い花 金子皆子 評者: 山中葛子
船医と降りるジャカランタの青い森
平成17年80歳。肺の癌が背骨に転位し、痛みの強まる日々の中、6月9日『花恋』により北溟社「詩歌句大賞」を受賞された金子皆子は、21日には、7階の最上階のポスピスに移られた。その部屋は一面の大きな窓が明るくて、かつての船旅を思い出す句が詠まれている。
ベットの傍らの机上には『下弦の月』の刊行に向けられた主治医による月の写真の表紙が製作されていて、日々の作品が加えられる形になっていた。歳時記は一切見られず、自らが季節感となっている全身全霊の作品だ。
『下弦の月』の「下弦の月」の章の巻末に収められた冒頭の二句は、痛みが劇しくなり俳句ができなくなってゆくなかでの貴重な日が詠まれている。ご一緒したその日は、車椅子で広い病院内をめぐりながら中庭に降りて、真っ白なテーブルを囲んで、拾った赤い実を並べながら、小鳥たちや秋の花たちをながめた。紫蘇の葉に似た強烈な色合いのあざやかさをながめながら皆子は、いきなり「ボルトブラッシ青い花」「ジャカランタ青い花」と口ずさまれた。それは突然何かに誘発されたような語感で、私は、まだ見ない「青い花」を想像した。兜太先生との異国の旅が思われる「ジャカランタ、ボルトブラッシ」の強烈な語感は、力づよく私の心に落ちて揺れた。
そして「あなたは頭で俳句を書いている。頭を捨てなさい」と言われてきた私の俳句を次へと導く俳句表現のテーマとなった。
無限にわきあがってくる熱情を創作する俳句への尊敬。山深い秩父から海辺の街への往環の年月に巡り合っている自己表現の個の孤の魅力。徹頭徹尾の身体体験による想念のリズム、生理的なリズムはテクニックを超えて愛の気合いを見せて予感的である。 金子皆子は平成18年3月2日他界された。
平成17年80歳。肺の癌が背骨に転位し、痛みの強まる日々の中、6月9日『花恋』により北溟社「詩歌句大賞」を受賞された金子皆子は、21日には、7階の最上階のポスピスに移られた。その部屋は一面の大きな窓が明るくて、かつての船旅を思い出す句が詠まれている。
ベットの傍らの机上には『下弦の月』の刊行に向けられた主治医による月の写真の表紙が製作されていて、日々の作品が加えられる形になっていた。歳時記は一切見られず、自らが季節感となっている全身全霊の作品だ。
『下弦の月』の「下弦の月」の章の巻末に収められた冒頭の二句は、痛みが劇しくなり俳句ができなくなってゆくなかでの貴重な日が詠まれている。ご一緒したその日は、車椅子で広い病院内をめぐりながら中庭に降りて、真っ白なテーブルを囲んで、拾った赤い実を並べながら、小鳥たちや秋の花たちをながめた。紫蘇の葉に似た強烈な色合いのあざやかさをながめながら皆子は、いきなり「ボルトブラッシ青い花」「ジャカランタ青い花」と口ずさまれた。それは突然何かに誘発されたような語感で、私は、まだ見ない「青い花」を想像した。兜太先生との異国の旅が思われる「ジャカランタ、ボルトブラッシ」の強烈な語感は、力づよく私の心に落ちて揺れた。
そして「あなたは頭で俳句を書いている。頭を捨てなさい」と言われてきた私の俳句を次へと導く俳句表現のテーマとなった。
無限にわきあがってくる熱情を創作する俳句への尊敬。山深い秩父から海辺の街への往環の年月に巡り合っている自己表現の個の孤の魅力。徹頭徹尾の身体体験による想念のリズム、生理的なリズムはテクニックを超えて愛の気合いを見せて予感的である。 金子皆子は平成18年3月2日他界された。
出典:遺句集『下弦の月』平成19年6月22日 角川書店刊
評者: 山中葛子
平成25年5月1日
平成25年5月1日