てふてふや産んだ覚えはあるけれど 柿本多映 評者: 栗林 浩

 柿本多映は伝統と前衛を混交させて新しい味のある句を作る人だ。蝶の句も多い。たとえば、〈人体に蝶のあつまる涅槃かな〉〈凍蝶にカーテンコール響くなり〉〈回廊の終りは烏揚羽かな〉などがある。以前上梓した第二句集の名は『蝶日』といった。多映が蝶を越冬させた、とどこかに書いてあった。
 さて掲句。平成25年刊行(現代俳句協会)の句集『仮生』にある。「てふてふや」で切って読んで、中七下五は蝶とはまったく関係なく考えて見る。子供たちを産んだ覚えはあるものの、みな独立して勝手な人生を送っている。母って一体何なんだろうとつくづく思うのだ……という感じだろう。そう言えば、蝶は自らが楽しむだけで子育てに苦しんだりはしないように、傍目には見える。
 多映は昭和3年滋賀県大津市の三井寺に生まれた。三井寺には言うまでもなく、永い歴史がある。筆者がインタビューしたとき、彼女は「寺ではありましたが、意外に近代的な雰囲気でした」と言っていた。決して閉塞的ではなかった。文化的な最高の文物に囲まれ、訪れる客も多く、自由闊達な子供時代だった。「普通のお寺ですと本堂があって、仏さんがあって、檀家がつくのですが、ここは本山で密教の寺でしてね。モダンな物が沢山ありました。たとえば硯ですね、唐のものでしょう。桃山・江戸の当時としては非常にモダンなものでした。硯は一つの例ですが、他にもあります。この部屋の正面の狩野派の壁画も豪華で、新傾向を示すものでしょう」という彼女だが、このような雰囲気が彼女を育み、かかる作品をなさしめた。平成26年1月、第五回桂信子賞を受けた。

出典:『仮生』平成25年9月1日現代俳句協会刊行

評者: 栗林 浩
平成26年5月1日