向ふから俳句が来るよ冬日和 村越化石 評者: 栗林 浩

 第50回現代俳句全国大会(平成25年10月)で柳田邦夫先生が「深い深い言葉の源を探して」と題して記念講演をされた。掲句はその際氏から最後に紹介された深い言葉の一例であった。村越化石(英彦)は、大正11年静岡県岡部町の生まれ。16歳でハンセン病のため、離郷し60年間故郷の地を踏めなかった。大野林火の「濱」に所属し、昭和33年に角川俳句賞を受賞した。その後、視覚を失い、肢体も不自由となるが、境涯を超えた句を発表し、57年蛇笏賞、平成3年紫綬褒章を受けた。
 筆者は化石さんとは何度も会っている。あるとき「化石先生がご自身で気に入っている句にはどんなのがありますか?」と訊いてみた。答えは、〈除夜の湯に肌触れあへり生くるべし『独眼』〉〈母なき川曼珠沙華なと流れ来よ『山国抄』〉〈鳥けもの喜雨(きう)山中に出で逢へや『山国抄』〉〈闘うて鷹のゑぐりし深雪なり『山国抄』〉〈生ひ立ちは誰も健やか龍の玉『蛍袋』〉をたちどころに挙げてくれた。病の句はない。どれも彼の人生の重要な節目で詠っている句である。対象をこころの眼で感得し、内面にある勁い芯で詠んでいる。実は、筆者は何ごともない平穏な句を聞かされるかと思ったのだが、穏やかな日常にあっても、やはり胸中から湧いてくるのは「生きる」自分が言いおおせた強い信念の句だったのであろう。
 それから何年か経った。筆者にとって、化石さんの句を思い出すたびに浮かび上がるのは、上記のような生きる意思を強く表したもののほかに、ごく平穏な生き方を句にしたものがより多くなってきた。たとえば〈裸木の側にしばらく居てやりぬ『八十八路』〉であり、掲載句〈向ふから俳句が来るよ冬日和『石と杖』〉である。慰められるべき化石さんが裸木の側にいて、裸木を慰めている。この心底の優しさ!
 俳句は無理しなくても自然に湧きあがってくる。老いるということがそういうものならば何という好ましい境地なのだろうか。
 平成25年、化石さんは過去の句集からの自選句を集め『籠枕』(文學の森)を出版した。豪華な、しかし、ずっしりと重い、落ち着きのある集成である。

出典:『籠枕』平成25年4月24日文學の森刊行(『石と杖』より)

評者: 栗林 浩
平成26年5月11日