六月を奇麗な風の吹くことよ 正岡子規 評者: 堀本 吟

 正岡子規(慶應三年1867〜明治三五年1902)の俳句を読むときには、友人から頂戴したアルス版『子規全集』をゆっくり開く。少々カビ臭いが読みやすい。特に第二巻『寒山落木 巻四』(『子規全集』大正十四年刊)は、彼の自筆を複写で完全収録。まざまざと子規の句として楽しめる。
 句意はシンプルである。「こんな湿っぽい六月なのに、ああなんと思いがけないほどきれいな風が吹いてくることだろうよ」、とだけ。梅雨時のしっとりした緑濃い庭からすっと吹きつけるそれを「奇麗な風」という、このダイレクトな形容が嬉しい。五月から真夏へ移るまでの中途半端な季節である六月を、生命感ある視覚的な景にしている。風の動きに伴う身体感覚がそのまま心理の躍動と一体化している。
 実はこれは病中吟。明治二十八年日清戦争の従軍記者として金州城にわたる。(このとき森鷗外に会う)。帰国途中五月十七日、船中で喀血し危篤状態となり国立神戸病院に入院。七月二十三日に須磨保養院にうつりしばらく保養。その時期の作である。掲出の句には「須磨」と前書きがあるが、六月にはまだ入院中。だから「須磨」というこの前書きは事実とは食い違う。子規の記憶違いなのだろうか?(しかし句としては「七月」より「六月」のほうが断然いい)。子規は八月二十五日に松山へ帰る。漱石の愚陀仏庵に寄寓。十月十五日松山を出て、途中、広島、須磨、大阪、奈良を経て東京に帰る。「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書き、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠む。柿を食べる動作と寺の鐘の響く時間が、さらに心の動きと一体になった一気呵成ぶりがいかにも子規である。
 そして、掲出句については、「奇麗な風」という形容が、主観と客観をあざやかにいい止めていてとりわけ興味深いのであった。五七五のリズムがそれを俳句の景にしあげている。読めば私の心にも「奇麗な風」が吹き抜ける。大好きな句である。
 
明治二十八年作。出典:『寒山落木 巻四』
評者: 堀本 吟
平成26年6月1日