おれが死んでも桜がこんなに咲くんだな 漆畑利男 評者: 田中 陽

 季節的にはすこし早いが、あえて桜の句を挙げた。作者、漆畑利男にとってこの句は代表作の一句と見て間違いなかろう。作者自身、一九八九年刊行の生涯ただ一冊の句集も、この句の上句「おれが死んでも」をそのまま書名としている。事実彼は、桜をこよなく愛した一人であった。
 死と桜――ということに関しては、かの大戦中〽咲いた花なら散るのは覚悟……などともてはやされピークに達したものだったが、掲句の作者は、そんな悲壮感はとうに忘却の彼方に追いやっている。つまり、散る桜と死とを結ぶのではなく、いま現在、いちめんに咲きほこっている桜を見渡して、次におもむろに自分の死後に思いをほどこしたものである。むしろ満開の桜に自分の“生”を謳歌しているのだ。生死一体の相といってよいかも知れぬ。
  ねがはくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月のころ  西行  
 は『山家集』西行の有名な作だが、この歌もまた死と桜に取材していることには変りない。が、こちらは涅槃(死)願望の作とされ、事実作者は釈迦入滅の翌日二月十六日に逝ったのだ。陰暦のこの日、桜も西行の願いどおりであったのだろう。
 マルクシスト漆畑に涅槃云々はそぐわないが、ことし二月二十二日八九歳で死去の前日まで施設の廊下を歩いていたというその死は、やがて満開の桜の下で涅槃寂静を遂げたのではなかろうか。
 掲句にあえて西行歌を引っぱり出したのは、桜を愛し人を愛した誠実かつ熱情の人……そんなキャラクターが、時代はちがっても両者に通じるゆえなのかも知れない。他の漆畑作品を二、三。「桜の枝がまぶしい銃後という日があった」「桜満開人は地べたに座りたい」「黙っていると変な毛虫になっていく」。
 僕自身の、彼を追慕する一句、
  桜咲いて・散って・漆畑利男亡し  陽
 
出典:『おれが死んでも』(一九八九年・主流社)
評者: 田中 陽
平成26年12月11日