2009年12月11日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 蜻蛉生まれる長崎の指の先 白木暢子 評者: 村井和一 「長崎の指の先」というフレーズから長崎の平和祈念公園にある北村西望作の平和祈念像を思い浮かべる人は多いだろう。祈念像の垂直に上げた右手の指は天空を指さしている。これは原爆を、水平に伸ばした左手は平和を、顔は戦争犠牲者の […]
2009年12月1日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 杭を打つ裸ぎらりと裏返し 北 光星 評者: 前田 弘 杭を打つ裸ぎらりと裏返し北 光星 護岸工事かなにかの作業現場、日に焼けた背中をぎらりと裏返して杭を打つ。屈強な肉体労働者の姿か鮮やかに見えてくる。 作者は大正12年、北海道生まれ。俳句を竹田凍光、細谷源二等に学び、昭 […]
2009年11月21日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 杭を打つ裸ぎらりと裏返し 北 光星 評者: 前田 弘 一期一会は「生涯にただ一度まみえること。一生に一度限りであること」と、辞書にある。しかし、この作者にとって、一期一会は毎日のようにあり、それを涼しく感じる、というのである。言い換えると、毎日毎日を新鮮に、涼しく生き抜く […]
2009年11月11日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 夏座敷対角線に妻のゐて 岡本久一 評者: 前田 弘 夫婦同伴の同窓会だろうか。会場は珍しく、緑の庭園に開け放たれた夏座敷である。数年ぶりに顔を合わせる誰彼と握手を交わして、思い思いの席につく。あふれ出る会話に時を忘れるが、ふっと、眼を対角線に移すとそこに居る妻の姿にはっ […]
2009年11月1日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 娘顔いつか母顔梅は実に 宮脇白夜 評者: 加藤光樹 作者は母校の俳句同好会の代表だが、俳句という共通の趣味で結ばれているだけで、師系、作品の傾向などは全く多種多様の集団である。その自由度こそが校風そのものであった。作者は不治の難病と戦いつ結社の主宰を勤める傍ら、同好会の […]
2009年10月21日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 凍蝶となるまで生きることの意味 大牧 広 評者: 加藤光樹 作品の鑑賞で作者の年齢に触れるのは些か抵抗を感じるが、この句を拝見した時は、作者の笑顔が眼裏に浮かんできた。現俳協の幹部として組織の充実に力を惜しまぬ行動力から近寄りがたい存在という印象が強かったが、初めて声を掛けてい […]
2009年10月11日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 山彦の帰って来ない雪景色 河村正浩 評者: 加藤光樹 しんしんと雪が降り積んだ翌朝、都会でも全ての音が吸い込まれたような静けさを感じることがある。それが山々に囲まれた山村なら一層その感を強くするだろう。都会の静かな雪の朝の景と山間の雪景色を頭の中で重ねてみると、成る程こう […]
2009年10月1日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 核の冬ひとでの海は病みにけり 高屋窓秋 評者: 谷山花猿 高屋窓秋は寡作で、しかも断続的にしか句を作らず、ひとたび句作に入れば連作あるいは群作的に纏めて発表するという特異な造り方をするというので有名である。掲出の句の『朝日文庫』に作品が収録されることになり、一九八四年になかば […]
2009年9月21日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 幻の砲車を曳いて馬は斃れ 富澤赤黄男 評者: 谷山花猿 新興俳句『旗艦』の同人であった富澤赤黄男は陸軍工兵少尉として一九三七年九月召集され、中国中部を転戦した。多くの従軍俳句を作り、『旗艦』などに発表した。それらの作品は、諷詠的でも写生的でもなく、またリアリズム的でもなかっ […]
2009年9月11日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 新しき猿又ほしや百日紅 渡辺白泉 評者: 谷山花猿 戦争末期に海軍に召集された渡辺白泉は函館黒潮分遣隊で天皇の詔勅を聞いた。その時の感想を六句の作品にして、句集に残した。掲出の句はその作品の末尾の句である。 句意は、百日紅の花を見て、新しい猿又が欲しいと痛切に思う、と […]