ひまわりに痛みを注ぐ夏の姉 大本義幸 評者: 林 桂
戦争体験を内面化することで、俳句逆風の戦後「第二芸術」時代を俳句革新のために生きた世代は、戦前、戦中の既成俳壇に名をなすことのなかった二十代を中心とした若者達であった。主に大正後半に生まれた人々である。戦後の「社会性」から「前衛」俳句を主導した。何を終焉のピリオドとするか今は定かでないが、昭和40年代前半までは想定できるだろう。決して短い間ではない。評価は今後定まるとしても、これほど「俳句」が真摯に情況や表現に対峙したことはなかっただろう。これだけでも「俳句」にとっては貴重な経験と言えるが、それを誤謬であったかのごとく俳句史から駆逐しようとする現状がないわけではない。だが、それは現在の「俳句」の対峙力の衰退表現である見るべきではなかろうか。
昭和40年代後半から彼らの影響を受けつつ、戦後生まれの俳人が台頭する。厳密には昭和19年生まれの坪内稔典(現代俳句)澤好摩(未定)を筆頭に、攝津幸彦(豈)、夏石番矢(吟遊)がここにいた。継承の一方で戦後派世代と切れながら、新たな俳句像を探る上でエコールを形成して登場した。これも前世代に学んだと言える。
昭和20年生まれの大本義幸もその一人である。『硝子の器に春の影みち』には「全句集」の帯がある。大本の句には何よりこの時代の刻印が鮮やかだ。前世代の継承でもある口語文体への親和性を潜めている。かつ前世代にない言葉の明るさがある。前世代の「俳句」獲得の仕事を踏まえて書き始めた典型と言えるゆえの、時代の刻印かもしれない。「尿ひらき飛ぶ京の河原に中也なく」「樹と竝てば肋骨に水が流れているね。」「ありがとう向日葵の水音を聴く人よ」「夜桜に火傷の疵のにおいして」「桃すもも銀河にすこし酸放つ」
出典:『硝子の器に春の影みち』平成20年10月30日沖積舎発行
評者: 林 桂
平成27年6月21日