艦といふ大きな棺(ひつぎ)沖縄忌 文挾夫佐恵 評者: 佐怒賀正美
こんな句がある。
軍艦が沈んだ海の 老いたる鷗 富澤赤黄男
戦争の悲惨な実態を目の当たりにした当時の若者たちも、戦後七十年が経ち「老いたる鷗」になった。赤黄男の鷗よりもさらに大きな時間を抱え込んだ老鷗は、何を考え続けたのか。
文挾さんの上掲の句は、九十四歳のときの作。
「艦」は「かん」と読む。沖縄戦で「艦」といえば、真っ先に思い浮かぶのは「大和」だが、一般的に「艦」と言ったために、「大和」以外の戦艦にも思いが拡がる。どの戦艦にも兵として乗っていた多くは、国を救おうとする純粋な若者だ。敵味方を問わず・・。
戦死せり三十二枚の歯をそろへ 藤木清子
同世代の身近な青年たちが次々に戦死していく。なぜ健康で無垢な若者が無残に死ななければならないのか。
一方、三鬼は次のような暗喩句にて、軍艦の不吉な命運を感じ取っていた。
僧を乗せしづかに黒い艦が出る 西東三鬼
冒頭の句では、さらに、(本土防衛のために)島に閉じ込められ多数の犠牲者を出した「沖縄」自体も紛れもない「艦」(=大きな棺)であったことに思いがとどく。「艦」=「棺」は「沖縄忌」の本質でもあったのだ。「艦といふ大きな棺」という文体には、「といふ」の時間の中に「艦」の本質をさぐるような思索性が感じられる。
この句は客観写生ではない。沖縄戦の「艦」を心の奥に据え、「死」のあり方を形態的にも意味的にも通底する「棺」をもって、可視化したものだ。「戦争」というものは、雄々しく軍艦(や戦闘機や戦車など)を建造させるが、その本質が「棺」であると判った時、あらかじめ組み込まれた悲劇性と人間の愚かさが如実に浮かび上がる。
戦時中の深い情感に発した粘り強い思索の結論が、一句としてここに厳然とある。この「老いたる鷗」の深化が戦後俳句七十年の意味の一つとも言えようか。
(平成二十年作・句集『白駒(はくく)』角川書店)
評者: 佐怒賀正美
平成28年9月16日