兵なりき死ありき星辰移り秋 文挾夫佐恵 評者: 佐怒賀正美

 前回に加えて、文挾さんの戦争体験を総括したもう一つの晩年作を紹介しておきたい。作者の場合、戦争は結婚し長女誕生から間もなく訪れた。戦時中の波乱万丈の生活は、

 炎天の一片の紙人間(ひと)の上に    夫佐恵

に始まる。以降、作者は幼い命を守り、夫の無事を祈りながら必死で生きた。

「女親は、自分の幼かつた日の雛祭を想つて、幼児のために立ち雛を描き壁に貼つた。菜の花と桃の一枝とを挿してはみたものの、紙に描いた雛は、大人のなぐさめのものであつて、お雛様のもつあのゆめまぼろしの世界など、幼児にとつて持てよう筈はないと思はれた。いつかこの子が大人になつたとき、雛祭りについては胸に空洞のある人間になるのではなからうか、いや何かがどこかが欠けた女性になるのではなからうかと不安だつた。(中略)
 そのとき、昭和十八年三月、男親は、輸送船でラバウルから東部ニューギニアのラエに向ふ途中、敵の爆撃を受け、ブイを身に着けて海に飛び込んだ。そして海上に漂ひながら、その三月三日が父親の命日になつて、くにに残してきた娘は一生雛祭が出来ないのかと、数へ年三才の女の子のことを思つたといふ。
 いまもつて雛を持たぬ娘だが、いつかは母親になる日もあらう。さうした時に、若い日の両親が遠く離れて、小さい娘のために悲しんだやうには、雛も雛祭をも感じないですむ時代であつてほしい、と思つたりするのである。(後略)」
(第二句集『葛切』あとがき)

 作者の戦争を問う現代俳句の原点の一つはここにあると言えるだろう。

 ところで、冒頭掲出の句は、戦時の兵の死、銃後の人々の死、戦後六十年の間の身辺の人の死、などさまざまな解釈も成り立つが、「星辰移り秋」ですべてが静かな哀感と共に作者の晩年の「いま」に収斂する。諦念とは簡単には言えない複雑な心境がようやく澄んできたかのような印象を受ける。
 文挾さんは、戦争を挟む激変の世を百年生き抜き、俳句に限っても旧派から前衛まで多彩な世界を見てこられた。それらの中で声を荒げることなく、自分の主張すべき世界を深く豊かに表現し続けられたことに、私自身、日を追うごとに敬意が深まっている。

(句集『白駒(はくく)』平成二十四年・角川書店刊)

評者: 佐怒賀正美
平成28年10月1日