三島忌のうどんはおかめがよろしかろ 鈴木砂紅 評者: 松田ひろむ

 ライトでかつ刺激的な一句である。二〇〇八年、現代俳句協会年度作品賞のなかの一句。
 先行句に
  三島忌の帽子の中のうどんかな  攝津幸彦(『鳥屋』一九八六年)
  三島忌の帽子の中の虚空かな   角川春樹(「河」二〇〇六年四月号)
があるものの、それらより軽やかである。三島忌は三島由紀夫の忌。一九七〇年十一月二十五日。
 攝津幸彦の帽子のなかの「うどん」は、帽子の中の頭とうどんを組み合わせて独創的だったが、春樹の句の「虚空」は、頭が空っぽということなのでやや理に傾く。頭が混乱することを「頭がスパゲッティになる」ともいう。幸彦の句も「スパゲッティ」のそれを踏まえているのだろう。どちらも、根底に三島由紀夫への冷やかな目がある。
 それに対して砂紅の「おかめうどん」は本来の具の多いという意味(五目より多い岡目八目に由来)から、女性の代表である「おかめ」へと意味を転換させて解釈することも出来る。
 幸彦も春樹も、内容的には「空っぽ」ということであるが、砂紅は逆に「具が多い」おかめだという。三島由紀夫の自衛隊に決起を促がした暴発的な死は、いまでも解明されない謎が多い。旧陸軍中野学校出の山本舜勝(きよかつ)陸将補(一九一九-二〇〇一)の関与が最も疑わしい。
 まあ、おかめうどんでも食べてね、と作者は惚ける。その先の意味を詮索する必要もないが、「おかめ」からは「ひょっとこ」が導き出される。それはどう考えても道化役である。
彼女の句に「愛国も売国もみな着ぶくれて」(二〇一二年)があるが、これを三島由紀夫の「憂国」と置き換えることも出来るだろう。

(出典=二〇〇八年、現代俳句協会年度作品賞作品)

評者: 松田ひろむ
平成28年12月2日