水涕や鼻の先だけ暮れ残る 芥川龍之介 評者: 松王かをり
「自嘲」という前書のある掲句を短冊に書きつけて、芥川龍之介(明25・3・1〜昭2・7・24)は自死した。そのため、この句が辞世の句であるかのように言われることがあるが、厳密に言うと、辞世の句ではない。
というのは、芥川の死後、香典返しの品として芥川家が作った句集『澄江堂句集』(生前に芥川が自選していた77句)は、ほぼ年代順の配列となっており、掲句は77句中17句目。前後の句の成立年代から考えて、大正10年頃には出来ていたのではないかと考えられる。自死したのは、昭和2年。死を覚悟した際に、自句の中からこの掲句を「辞世の句」として選び取ったというのが、正確なところだろう。
では、なぜこの句を選んだのか。その前に、この句は「水涕を垂らした具体的な自画像」なのだろうか。一字一句にこだわった芥川が、「水涕や」と「や」で切っていることの意味は大きい。「や」で切ったということは、そこに間を置きたかったということ、したがって、具体的に鼻水を垂らした人物像を描き出そうとしたのではない。前書に「自嘲」とあることから推察されるように、「水涕」は、苦い「自嘲」の思いの象徴だろう。
さて、「暮れ残」ったものは何か。素直に読めば、「鼻の先」である。ところで、芥川の小説「鼻」に、「内供は実にこの鼻によつて傷つけられる自尊心の為に苦しんだのである」という一節があって、まさに「鼻」は「自尊心」の象徴として使われている。「暮れ残」ったのは、肉体的にも精神的にもぼろぼろになった芥川の、けれど、最後に残っている「自尊心」。さらに突き詰めると、「芸術家としての矜恃」の結晶たる、作品そのものであったと気づくのである。
小説「鼻」を漱石に絶賛されて始まった作家としての人生を、芥川は、「鼻」の句で閉じたかったのではないだろうか。いやむしろ、辞世の句として選び取るのは、「鼻」の句でなければならなかったのである。
出典『澄江堂句集 印譜附』(昭2、文藝春秋出版部)
評者: 松王かをり
平成29年10月16日