渤海へつづく卯浪に荒稲を 志賀康 評者: 高橋修宏
言葉によって想像された景色であるにも関わらず、一読して忘れがたいイメージを刻印する作品がある。歴史的想像力ということでは、与謝蕪村の「鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな」など著名な作もあるが、この一句はより悠遠で、かつ魅惑的な謎に満ちている。
「渤海」とは、七世紀の終わり頃から二百年余り日本海の対岸に存在した国。その版図は中国東北部からロシアの沿海州に及んだというが、ほとんど文献史料らしいものは残っておらず、かつて〈幻の王国〉とも呼ばれたことがある。
春から夏にかけて、まだ海上の波が荒い時期に能登半島を訪れると、日本海の彼方に〈幻の王国〉のイメージが立ち現れるのを感じる。白い卯の花が風になびくような「卯浪」。その上に蒔かれた「荒稲」は、航海の祈願なのか。予祝の象なのか。日本海の波の上に、柳田国男の幻視した海上の道よりも荒々しい、もうひとつの〈海上の道〉がまざまざと現前するようだ。
さらに本作をめぐって、高山れおなは述べる。「異国とつながる海上の道に蒔かれたひとつかみの荒稲=籾がたちまち白い浪の花=稲の花と変じ、さらに古日本人にとって宝そのものである和稲=白米となって湧き立つさまを幻視する」と。もうこれ以上何も付け加えることのない、想像力に満ちた見事な鑑賞である。
本集の序文に記された安井浩司の「神話とは、全き現在のごときに外ならないという概念の意味において、志賀俳句の場合は、現在が全き神話に外ならない…(後略)」という言葉を踏まえれば、作者によって想像された世界とは、歴史的な過去に遡行するだけのものではなく、現在そのものに、もうひとつの神話的世界を打ち立てようとするものであろうか。まさに俳句という詩型に秘められた、いまだ明かされない可能性を開こうとする作品行為ではないだろうか。
出典:志賀康『返照詩韻』(風蓮舎)
評者: 高橋修宏
平成29年12月1日