鬱鬱と秘密保護法六林男の忌 鈴木明 評者: 高橋修宏

鈴木六林男は、2000年12月12日に逝った。
東日本大震災はもちろん、安保法案改悪、秘密保護法の制定と、時代が音を立てるように新たな〈戦前〉へと傾いていくなかで、もし六林男が生きていたら、何を語ったのか。そして、いかなる俳句を書き記したのか。そんな思いに、しばし立ち止まることがある。
おそらく、この一句の作者、鈴木明も同じような思いで書きとめたのではないだろうか。あるインタビューにおいても、「直接の交流はほとんど無かったのですが、鈴木六林男の影響も受けました」と、彼自身語っている。さらに「僕自身の俳句の思いには、前衛的なものが今でも強く残っています」(クプラス第一号)というくだりは、とりわけ印象的だ。
「鬱鬱」という言葉には「気分が晴れないさま」と、一方、草が盛んに繁茂する様子から転じて「気が盛んにのぼるさま」と両義的と呼べる意味がある。だが作者においては、「気が晴れない」にも関わらず、いや、それゆえに内なる「気が盛んにのぼる」ものなのではなかったのか。表現する者の叛意として、六林男のように。
ちなみに六林男にも、「鬱鬱と定型帝国去年今年」という痛烈な一句がある。きっと俳句表現における〈志〉と呼べるものは、ときに師系などを越えて、一句を書き記すことによってのみ受け渡されていくものなのだろう。

出典:鈴木明句集『甕』(ふらんす堂)

評者: 高橋修宏
平成29年12月16日