片陰にのみこまれゆく六本木 今井肖子 評者: 四ッ谷龍
【数学俳句 その2】
数学俳句には、私見では三通りぐらいの種類のものがあると思っている。
1. 数学用語や数学者の名前を折りこんだ俳句
2. 数学理論や数学者の業績を賛美した俳句
3. 必ずしも数学用語が出てくるわけではないが、数学的な構図が含まれる俳句
前回の矢野玲奈さんの俳句は「1」に属するものであったが、掲出句は「3」の部類に入るものである。
作者の今井肖子氏は、数学の教師を職業とする方である。そのせいか、句集を読むと表面的には花鳥諷詠といった作風に感じられるにもかかわらず、形態描写の中に数学的な把握が見え隠れするのが面白いところである。掲句も、六本木の街が太陽の傾きにつれて片陰の中に飲み込まれていく、という事実そのままの描写なのだが、見かたを変えれば「陰がつくるかたち(図形)が回転移動することによってその座標が変わり、平面の中で図形の占める面積が変化する」とでもいったような数学的命題を述べた句というふうにも受け取れるのである。街の細部を描写せずに「六本木」と大づかみに抽象的に述べたところがそのような図形的印象を強めるのだろう。
同じ句集に<アンテナの一部となりぬ寒鴉>があるが、これも「アンテナという金属製品が作る数学的体を、鴉を含んだものへと拡大する」という代数構造記述へと置き換えられそうであるし、<白鳥を動かしながら水温む>は「水流という要素と水温という要素が作る二つのベクトルが白鳥に影響を与えている」と座標系でとらえることもできるだろう。
「俳句は数学だ」と私はいつも言っているが、それは俳句を数値的に分析しようとか公式を使って俳句を分類しようとか主張しているわけではなく、俳句と数学はしばしば現実を似た視点から処理しているということを伝えたいのである。
出典:『花もまた』
評者: 四ッ谷龍
平成30年3月16日