奈良七重七堂伽藍八重ざくら 松尾芭蕉 評者: 四ッ谷龍

【数学俳句 その3】
歴史上、もっとも偉大な数学俳人は誰でしょうか。じゃーん、答えは松尾芭蕉さんです(私の独断)。
芭蕉が数学的感覚にすぐれた人だったのではないかと思われる理由はいくつかあるが、ここでは「数列への関心」ということを挙げたい。掲句では7,7,8という三つの数字を語呂良く並べているし、ほかにもこんな句がある。
  桜より松は二木を三月ごし
  四つ五器のそろはぬ花見心哉
  六里七里日ごとに替る花見哉
  見しやその七日は墓の三日の月
  七株の萩の千本や星の秋
  八九間空で雨降る柳かな
  九たび起ても月の七ツ哉
どうです、相当な数字マニアぶりでしょう。
数字を和歌に詠みこむという試みは平安時代から行われていたことで、芭蕉の発明ではない。掲句にしても、「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」という百人一首にも採用された伊勢大輔の歌や「名所や奈良は七堂八重桜」という如貞の句の本歌取りであることは明らかだ。しかしそれにしても、数列への関心の徹底ぶり、数字の並べかたの手際よさ、カウントアップやカウントダウンの数的処理のうまさなどの点で、芭蕉俳句は王朝和歌や先行する俳諧の技法を超えているように思う。
掲句でも、まず「奈良七重」と奈良の都路を大きく把握し、「七堂伽藍」と特定の寺の伽藍に焦点を絞り、さらにその中の「八重ざくら」をズームアップする。画面範囲は縮小していくのに数字は七から八へと増殖するので、八重ざくらのボリューム感が濃厚に強調される。
芭蕉が江戸に出てきたころ、彼は神田上水の補修工事の事務方をやって生計を立てていたとされる。工事事務といえば、人工計算、原価管理、金銭出納など計算力が必要とされる業務ばかりであるから、現実的にも彼はけっして数字にうとくはなかったに違いない。

出典:『泊船集』

評者: 四ッ谷龍
平成30年4月1日