梅咲いて庭中に青鮫が来ている 金子兜太 評者: 柿本多映
『遊牧集』所収。掲句を初めて読んだとき、その強靭なイメージに息を飲んだのだった。一句の中の青鮫と白梅、シュールな絵画を眼の前にしているような不思議な感動におそわれたのを覚えている。
兜太氏は掲句について「戸を開けると白梅。気が付くと庭は海底のような青い空気に包まれていた。春が来た、命満つ、と思ったとき、海の生き物でいちばん好きな鮫、なかでも精悍な青鮫が、庭のあちこちに泳いでいたのである。」と述べている。(金子兜太自選自解99句)。
この時、兜太氏は単に人を食う鮫としてではなく〈生〉あるものの命の象徴として、生命力そのものとして、具現しているのだ。白梅も命の象徴なのである。
ふと私は、自解の「海底のような青い空気」に兜太氏の心底を重ねている自分に気付かされる。青鮫、それは魂そのものであったのだ。掲句はトラック島の海に果てた兵士へ、いや自他ともへの鎮魂であり、「青鮫」は魂の矜持としての兜太自身でもあろう。
昨年八月、「戦あるな人喰い鮫の宴あるな」に出会う。この鮫は明らかに人喰い鮫である。この叫びにも似た金子兜太のメッセージこそ、形式を越えたころで俳句を書きつづけた兜太氏が、身をもって示した最後のメッセージとなった。金子兜太という俳人は、そのような人であった。
※『現代俳句』2018年7月号金子兜太追悼特集「忘れ得ぬ一句鑑賞」より
評者: 柿本多映
平成30年8月10日