若きらの踏み出すさきの枯野かな 大道寺将司 評者: 堀之内長一
宮沢賢治の俳句が「宮沢賢治の俳句」であるように、大道寺将司の俳句もまた、どこまでも「大道寺将司の俳句」である。「大道寺将司。1948年生まれ。東アジア反日武装戦線〝狼〟部隊のメンバーであり、お召し列車爆破未遂事件(虹作戦)及び三菱重工爆破を含む三件の「連続企業爆破事件」を起こし、1975年逮捕、1979年東京地裁で死刑判決、1987年最高裁で死刑が確定した。2010年に癌(多発性骨髄腫)と判明、獄中で闘病生活を送っている」(著者紹介より)
この4月に刊行された『棺一基 大道寺将司全句集』(1996~2012年の約1200句)。辺見庸氏が序文と跋文を寄せている。辺見氏は、本書の上梓を望んだのはむしろ自分であること、心身の苦しみにもかかわらず、彼の句境が新たな盛り上がりと深まりを示していること、世界がこうまで寄る辺なくなった今日、彼の俳句はかえって胸を衝く普遍性と文学性をますます帯びてきていること、等々を、その息苦しいまでの気迫と悲哀に満ちた言葉で綴っている。
実は、彼の第一句集『友へ』(2001年刊)の序文で、辺見氏は「年譜よりも前に、まずもって彼の俳句に、できるならば、心を真っ新にして触れていただきたい」と述べていた。それに対して私は、同世代の大道寺に対して、虚心坦懐になれ、というのはしょせん無理な話だ、と思ったことをなつかしく思い返している。作者を知ることで、言葉は二重三重の光と影をまといつかせて迫ってくる。しかし今、この全句集を読み終えて、いつかしら、作品が作者を超えていくときが訪れるのかもしれないと、思い始めている。
大道寺の俳句は真摯である。静謐である。滾るような言葉が現われても、その静謐な響きは変わらない。掲句は、句集の最後に置かれた2012年の作品である。ここから、また新たな作品が書き継がれていくに違いない。
出典:『棺一基 大道寺将司全句集』(太田出版・2012年4月)
評者: 堀之内長一
平成24年8月21日