ゆふべ背に立てたる爪で蜜柑剥く 山﨑十生 評者: 佐藤文子
一行の俳句に長編小説にも勝る物語を感じることがある。掲句はまさにそのような句である。
山﨑十生氏から句集『恋句』が送られて来たのはいつだったか。発行は2011年10月30日。およそ1年前にいただいたように思う。最初手にしたとき、正直、恋の句?今さら恋でもあるまい。いったい十生氏に何が起ったのか。
句集のあとがきには「書名は『恋句』であるがこれはあくまで普遍的な恋を俳句形式で脚色しただけのことである。人間の潜在的な心理を表現者として多角的に捉えたものとして受容していただければ幸甚である」と記されている。
とは言え、じゃじゃ馬根性から何かを勘ぐりたくなるが、この『恋句』のページをめくって行くうちに何と十生氏は純粋で正直な方だろうと思った。普段の十生氏は「紫」主宰、現代俳句協会理事として多忙を極めていると推測している。
恋句、相聞句となれば相手がいることになる。こんなに愛された相手(女性)は、どんなに幸せか。
初日昇りやすいやうにと抱擁解く
この上もなく薄氷の恋激し
殺意とは愛の結晶冴返る
告白はしないつもりだ額の花
目茶苦茶にあいされたいのさくらんぼ
と続き、やがて掲句の
ゆふべ背に立てたる爪で蜜柑剥く
となり、恋の絶頂期を迎える。しかし、その愛も影が差し始める。
うろたえる愛。耐える愛へと移り行く。
辛抱が足らぬと月にいはれけり
白鳥に叱咤激励されてをり
とうとう
はんたうの恋は片恋霏霏と雪
と、自分を納得させるのである。読後、切なくて仕方がなかった。恋は今さらと、思うものではない。恋について真剣に考えさせられた。
出典:『恋句』2011年破殻書房
評者: 佐藤文子
平成24年10月11日