東海に言語は澄めり春の雪 橋本輝久 評者: 後藤昌治
一見、気宇壮大な句の感じがするのだが、感覚的に鮮明に私に迫ってくる。まず「東海」の定義なのだが、東方の海、日本国の異称、東海道の略、朝鮮からの日本海の呼称などとあるが、伊勢神宮のお膝元の伊勢市に住んでいる作者のことを思えば、この句の場合、広義に見て、「東海地方」ということで、それを根元とした風土と時間の中で、われを存在たらしめる大きな意味での位置であろう。
そしてこの句の眼目は、「言語は澄めり」である。言語とは、詩を書くものが共有する表現手段であり、それは絶対不可欠なものでそれは単なる表記に留まらず、内的世界の重要な昇華を司る。この句では「言語」そのものが自立的に対象化されている。
「東海に言語は澄めり」とは随分独断的ではあるのだけれども、高揚感がそう書かざるを得なかったのであろう。そして、座五に「春の雪」と置かれたことによって、抽象的なフレーズが俳句として成立した。「春の雪」とは一見陳腐にも見えるけれども、幾たびも読み下していると大きな世界にリズムが調和して心地よい。この句が発表されたとき、同じ東海に住む一人として奮い立った思い出がある。なお当時、故高柳重信はこの句を激賞したと伝えられている。
橋本輝久は昭和14年生まれで、現在「伊勢俳談会」代表である。
そしてこの句の眼目は、「言語は澄めり」である。言語とは、詩を書くものが共有する表現手段であり、それは絶対不可欠なものでそれは単なる表記に留まらず、内的世界の重要な昇華を司る。この句では「言語」そのものが自立的に対象化されている。
「東海に言語は澄めり」とは随分独断的ではあるのだけれども、高揚感がそう書かざるを得なかったのであろう。そして、座五に「春の雪」と置かれたことによって、抽象的なフレーズが俳句として成立した。「春の雪」とは一見陳腐にも見えるけれども、幾たびも読み下していると大きな世界にリズムが調和して心地よい。この句が発表されたとき、同じ東海に住む一人として奮い立った思い出がある。なお当時、故高柳重信はこの句を激賞したと伝えられている。
橋本輝久は昭和14年生まれで、現在「伊勢俳談会」代表である。
出典:第一句集『國見』昭和57年刊
評者: 後藤昌治
平成22年4月11日
平成22年4月11日