わが桜正面に河原小学校 宇多喜代子  評者: 久行保徳

 故大中祥生創刊の「草炎」が通巻三百号に達し、その記念号を昨年七月に発刊。その折の招待作家近詠としていただいた五句の中の一句である。
 現代俳句協会会長の宇多さんは、私の住む山口県周南市(当時徳山市)の出身。
 昭和十年生れであるから、終戦は小学生の時である。私はまだ生れていなかったが、徳山湾沖の大津島には人間魚雷回天訓練基地もあり、また海軍燃料廠のあった徳山は、二度にわたる米軍の爆撃を受け、その凄まじい光景を、後に母親から幾度となく聞かされた。
 上掲句の河原尋常小学校は、昭和十二年に開校されたが、二十年の空襲で戦災焼失により廃止された。
 中七の「正面に」に、遥か昔のことながらも忽せに出来ない、その記憶への思いが滲む。
  櫛ヶ浜なる櫛形の春の波
 この作品も宇多さんの、故里徳山に対する思いが書かれていて、胸を噛む。
 櫛ヶ浜は、市の中心部から少し外れた所に位置する漁師町で、瀬戸内海国立公園の一部、海抜三百六十五メートルの太華山のふもとにある。その太華山の中腹には佐藤春夫揮毫の与謝野寛(鉄幹)の徳山湾沖の島々を詠んだ歌碑も建つ。
 山頂からは市内はもとより、晴天の日には遠く四国、九州も眺望出来る観光スポットでもある。
  一柱の真直ぐに添うて霜柱 (2004年)
  夏草と一日見合う二日見合う(2009年)
 第六句集「記憶」の中の、共感の二句であるが、宇多さんらしい感覚の冴えが見えて、快い。
 俳句は継続の文学というが、それを実行するには可なりの勇気と労力、根気のいる営為ではある。

出典:『草炎300号』平成23年7月号

 評者: 久行保徳
平成24年3月1日