オーストラリア俳句の季節感(後編)
 ー ヨーロッパのクリスマスに憧れて ー

木村聡雄

 オーストラリア俳句の後編である。ジュディス・ジョンソン句集『クリスマスの花束』Christmas Posy(2023)論の前編はWeb版『現代俳句』2ケ月前の2024年1月創刊号に掲載された。その内容は、南半球では季節は夏冬が反対になるため、オセアニア周辺地域では〈真夏のクリスマス〉がクリスマス俳句のアイデンティティーともなっているという話であった。前編から1ケ月空けた後の掲載ということで季節的にはさらにクリスマスから離れてしまったが、日本にも1年中クリスマス専門店がいくつもあることだし、と思っていただけたらありがたい。今回は、前回のオーストラリア独自の俳句表現とは逆に、それでも祖先を遡った西欧(プロテスタント圏)におけるクリスマス本来の姿を思い描く作品をこのクリスマス句集の中から拾ってみたい。

ドーム形の静寂へ 聳える ヘンデルのメサイア
soaring
into domed silence
Handel’s Messiah Judith E.P. Johnson(以下同じ)
 祈りの静けさがルネッサンス様式を真似た丸屋根の教会の形に凝縮されて、その後に合唱「ハレルヤ」(ヘブライ語で「神を賛美せよ」)」で有名なヘンデルの「メサイア」(「救世主」)が響き渡るという。これらはまさにクリスマスの風物そのもので、日本人には俳味に欠けるように感じられるかもしれない。とはいえ、太平洋上の小大陸で独特な真夏のクリスマスを祝う作者の心を思うとき、このようないわば〈原型〉を一句に追い求めざるを得ないという移民の人々(の子孫)の気持ちは十分に想像されるのである。

家族の晩餐 いない人にも 蝋燭を 
family dinner
I light a candle
for those not there

物語その裏 どこか 別の話
behind the story
somewhere
another story

揺り木馬 子供が去っても なお揺れて
rocking horse
after the child
still rocking
 厳かな満たされたクリスマス。足りないものは何もない幸福感と思われるが、これらの句の精神は、目には見えずここにはいないものを探し続けている。それは懐かしい過去にまつわるものたちか。あるいは天上に属するものか。

祖母の家の晩餐 ロイヤルアルバートの 埃を払う
dinner at grandma’s
she dusts off
her Royal Albert
 クリスマスの団らんが目に浮かぶ。ロイヤルアルバートとは、花柄などで知られる英国陶磁器メーカーで、19世紀のヴィクトリア女王と夫のアルバート公のための王室記念食器製作を請け負った。大切にして年に一度出してくる食器は、日本ならたとえばお正月の屠蘇セットだろうか。祖母が「埃を払う」様子には滑稽さも表現されている。

降誕祭模型 肉を切るため ヨセフを脇に
nativity set
moving Joseph
to cut a slice
 “nativity set”とは、降誕の場面を表現した人形模型のこと。日本では、ドイツ語の〈クリッペ〉(生まれたばかりのキリストのベッド代わりの馬用飼葉桶の意)として知られ、専門店やデパートなどでも見られる。普通は、馬小屋の模型にマリア、幼子のキリスト、輝く星に導かれて東方から祝福に訪れた三賢者などの人形セットで、多くの家庭で飾られる。わが国なら雛人形が思い出されるかもしれない。ヨセフは聖母マリアの夫。この句では、人形模型の近くでローストしたビーフや七面鳥・チキンなどを切り分ける場所を確保するために、一時ヨセフの人形をどかしたという。聖母子は別々にはできないからというわけだが、日本の(一部の)お父さんたちの姿もかすかに頭をよぎるような諧謔性も感じられるだろう。

 後編では、ヨーロッパからの移民やその子孫たちがオーストラリアという異なる自然・社会環境の中にあっても祖先のクリスマスの習慣を受け継ぎたいという思いが現れた作品を示した。クリスマスは俳句の主題として分かりやすいが、他方、歴史においては世界中で多くの民が異境にありながら故郷を忘れられず、それぞれに古くからの文化を繋いでゆこうとする状況もまた目に浮かぶのである。
(作品和訳:木村聡雄)
[Longing for Christmas in Europe—Australian Haiku  Toshio Kimura]

>>>前編はこちら