オーストラリア俳句の季節感

木村聡雄

 時代を映して『現代俳句』もウェブ版の登場である。他の新聞などと同じく、これまでの紙ベースの『現代俳句』との併存となる。ウェブ版においては「海外俳句事情」(国際部のページ)を設けて毎号、世界の俳句を紹介する運びとなった。内外の方々の文章やこれまでの「国際部のページ」のアーカイブ掲載も計画中であるが、普段の号では、外国語作品鑑賞を通じて海外俳句状況の一端を見てゆく予定である。

 わが国にあふれる海外文化のなかでも完全に根付いたものといえば、まず〈クリスマス〉が挙げられるだろう。一宗教を超えた日本全体の国民的イベントとなっている。欧米圏では、年賀状代わりのクリスマスカードにおいて、「メリー・クリスマス」の文言の代わりに非キリスト教徒の間では「(年末年始の)季節のご挨拶 (Season’s Greetings)」と書くことがあることも知られている。(日本でそうしたことを気にする人はあまりいないかもしれない。というのも、この数日後の新年には神道関係者かどうかに関わらず日本各地の神社は初詣客で大混雑なのだから。一方、海外での有名な例を挙げれば、2016年にノーベル文学賞を受賞した音楽家のボブ・ディランはもともとユダヤ教徒だったが、70年代にプロテスタントへと改宗しゴスペル系の作品も発表した。80年代にはまたユダヤ教に戻ったのだが、おおらかなわが国との違いが分かるようである。)いずれにせよ、「クリスマス」が欧米世界の季節の言葉であることは間違いない。

 この『現代俳句』1月号が発行されるのはウェブ版も含めて年明けなので、上述の初詣が気になってクリスマス気分も薄れてしまっているかもしれない。一方欧米では、クリスマス休暇は新年休暇と合体しているので、年明けでも街中にはクリスマスツリーがいくつも見られる。日本においては、12月26日以後クリスマス関連のものをすぐ片付けようとするところは、3月4日以後の雛人形の様子と似た感覚が垣間見られるようである。外国語俳句において季語が意識されることは稀である。それは四季が明確でないためとか、熱帯や寒帯にあるためなどとよく言われる。もうひとつ、南半球の状況も忘れてはならないだろう。今回は特集としてオーストラリア俳句に書かれた季節感について考えてみたい。2023年秋に出版されたばかりの1冊の新句集をテキストとして、クリスマスシーズンの独特な季節感に触れてみたい(本号は同特集の前編、後編は春頃掲載予定)。

〈オーストラリア俳句の季節感〉
豪州からクリスマスの句集『クリスマスの花束』Christmas Posy (Ginninderra Press, 2023)が届いた。著者ジュディス・ジョンソン (Judith E.P. Johnson) はすでに10数冊もの句集を出版しているオーストラリアの俳人で、彼女の以前の句集『昼の月褪せて』Day Moon Fading (2020)では私が「前書」を担当した。今回の新句集では、私は句集の裏表紙に短い解説を載せている。この句集の100句ほどの作品の主題はすべてクリスマスについてであり、作者の降誕祭を祝う〈熱い〉気持ちがまず感じられるのである。オーストラリアにおいても、クリスマスはもちろん12月25日である。とはいえ、それは冬ではなくて真夏である。われわれにとっては南半球の季節は頭では分かっていても実感しにくいだろう。当地特有のクリスマスの時期の夏の暑さについてどのように表されているのか、いくつか抜き出してみよう。
(作品和訳:木村聡雄)

降誕祭の季節 冬の習慣に 夏の太陽 ジュディス・ジョンソン
yuletide
following winter customs
summer sun Judith E.P. Johnson(以下同じ)
周知のように南半球の季節はわれわれとは反対で12月は夏である。半袖のサンタがカヌーやサーフィンでプレゼントをもってきてくれる真夏のクリスマス模様。この正反対の季節感とそれでも生誕祭自体は元の北半球の冬の習慣に従うという2面性がこの作品集の基調となっている。

風のない暑さ 子どもが鳴らす 風鈴
airless heat
a child tinkles
the wind chime
オーストラリアの夏は、湿度は日本ほど高くないとはいえ12月ころの気温は30数度まで上がると言われる。金属やガラスの風鈴も風がなければ鳴らない。そんな日の子どものかわいい仕草の一瞬をとらえて、暑さの中に涼しさを見出している。

クリスマス熱波 郵便受に また雪景色
Christmas heatwave
in the post
another snow scene
世界中で温暖化が伝えられるなか、オーストラリアでも熱波到来である。その中で定番とも言える雪景色のクリスマスカードが配達されるという対比が描かれる。現地の人々は生まれたときから慣れてしまっているとはいえ、この逆転状況をいかに描くかという点に豪州のアイデンティティーが示されるとも言えるだろう。

蒸し暑い部屋 レコードプレーヤーから 橇の鈴と雪
humid room
from the record player
sleigh bells and snow
湿度がそれほど高くないためか同じ英語圏のイギリスにも似て、エアコンの普及率は日本ほどではないといわれる。そしてこの句のように室内で蒸し暑さを感じることも増えつつあると聞く。それでもなお、クリスマスの懐かしいレコードの歌声は例によって雪の中をやって来るサンタクロースの橇の鈴の音でなければ、という主張が込められている。

待ち伏せの 子どもたちと 水鉄砲
waiting in ambush
children
and water pistols

「水鉄砲」といえば夏である。同時にここではクリスマス休暇と結び付くもので、この作品ではクリスマスの一家の様子がどのようなものか描かれている。「待ち伏せ」の最中の子どもたちの息を潜めた沈黙、そしてその直後に起こる大きな笑い声が生き生きと伝わってくる。

 今回は暑い暑いクリスマスの描写を拾ってみた。そこにはオーストラリア俳句の個性が明確に表れていることが読みとれるだろう。季節の逆転した場所(あるいはそのほかの四季が明確ではないような地域)にあっても、季節感を越えた優れた俳句作品が書かれつつある状況が分かるようである。

(前編終わり)
[Seasons in Australian Haiku Toshio Kimura]