第16回東海俳句大会報告

日時  令和元年十月二十七日

会場  名古屋市ウインクあいち

参加者九十二名。投句数八百二十二句。講演を神野紗希青年部長が行うことから、初めて、高校生に投句と参加の呼びかけをする。

幸田高校、高田高校、名古屋高校の三校から五十句の投句、十六名が大会に参加。爽やかで活気ある会になる。大会終了後懇親会、来年の全国大会にむけて弾みのつく会となった。

大会賞 

  教室のはちきれさうな九月かな   山上享子(あつこ)

秀逸賞

  黙祷に固く握りし夏帽子      小南千賀子

  八月の棘が刺さったまま眠る    谷口智子

  手のひらにみづの溢るるやうに秋  網谷菜桜(高田高校)

  七五〇CCが斬り込んでゆく熱帯夜  岩田典子

  初盆を呑気な貌の遺影かな     前田典子

  台風に小さな釘を打っている    岩田典子

 

<参加の高校生が後日送って下さった感想を一部ご紹介します>

「この六月から俳句を始めたばかりで、選者特選という大きな賞をいただき、大変嬉しく思っています。選者の先生から批評をいただくことができ、とても充実した時間でした。
「俳句」をしている人間はもとより少なく、「俳句部」である高校生は三重県内ではほとんど出会えません。ですから、普段の活動は小さなコミニュティーで行うより他ありません。そんな中で俳句している大人と話すことができる機会があるというのはとても貴重なことです。「大会」や「句会」といった正式な集いでなくとも、そのような機会を設けていただけたら、私たち高校生としては幸いです。」

「普段高校生の多い句会と違い、「七五〇CC」の句のように高校生の視点にはないような句がたくさんあってとても楽しかったです。また後半の講義では、「俳句の中では、何にでもなれる。少年にでもなんでも」という言葉を聞いてとても共感できました。自分も俳句の中でたくさんの人や物になってみようと思いました。」

「俳句のイメージが変わりました。具体的に言うと、2つあります。1つ目は、俳句は大変自由度の高い自分を表現するものだったということです。2つ目は、一回性を描くというところです。聞く以前は単に美しいものを描けばいいと思っていました。」

「神野先生の「今しか詠めない俳句を詠む」という言葉を聞いて、もう少し肩の力を抜いて、日常のことを自分なりの言葉で句にしたいとな、と思いました。
俳句は自分の感性でつくるものなので、自分の感覚やリズム、感じ方は大切だなと思いました。
それに、大会に出されていた句も、素敵な句がたくさん出されていて、色々な表現や情景が見れて、すごく楽しかったし、ためになりました。たくさんの人の感性が見れて、すごいなーと驚きました。とても楽しかったです!」

「とても温かく、個性を尊重しあう素敵な大会でした。
私は始めて句の選をさせていただいたのですが、とても楽しかったです。
自分のまったく思いつかないような句だったり、句を見ただけでどんどん想像が広がっていく句にたくさん出会いました。」

「賞をとった方々の俳句の中で一人高校生がいて、同じ高校生として負けられないと改めて強く思うきっかけとなる大会になりました。
選者の俳句の選抜理由もひと通り聞いていて、やはり、何年も俳句に向き合っていた方々の解釈は私の思っていたことの、もっと奥のところを突いてきて解釈の仕方についても学ぶことができました。
神野紗希先生の講習会では、一瞬の大切さについて教わりました。
何でもない日常にある特別な事を俳句にすることで、自分だけの俳句を作ることができることや、普段、主役として使われない季語を使うことで、ありきたりな俳句ではなく、珍しい俳句を作ることができるなど、私が何年俳句をやっていたとしてもきっと思いつくことができないことを教えてもらいました。」

「使った事のない季語の句が多く、複雑な句があり、こんな句が作れるのかと思いました。そして選ばれた句の中には、他の高校の方の句がありびっくりしました。今回の事で俳句の可能性を知りました。さらに神野先生の講習会を聞いて、当たり前でないものと言うのが印象に残りました。
俳句を考える時、季語を考えると、この季語だと、これという固定概念があり、幅広い句ができなくなります。僕も俳句作るとき、その固定概念に縛られている時があります。その固定概念を破ってその外側で俳句を作っていきたいです。」