呪文めく言葉
👤村瀬ふみや

信じていることがある。
というか、それほど大げさじゃないけど、心の片隅に置いてあるお守りみたいな。
普段は思い出すことはないけど、時々ほわんと頭に浮かんでくる言葉だ。

小4の秋、新興住宅地に引っ越しをした。
当時はご近所づきあいが欠かせない時代。
あるお宅に母が御呼ばれをして、なぜか私もついていくことに。

整理整頓されたモデルルームみたいな居間と大きな窓から見えた緑のお庭が今も記憶に残っている。
その居間の白い大きな肘掛椅子に、おじいさんがゆったりと腰掛けていた。
いや、たぶん、「おじさん」くらいの年齢だったのだろうけど、今思うと老齢の貫禄みたいなものがにじみ出ていたのだろう。
で、そのおじさんが、いきなり私に聞いてきた。

「きみは霊を信じるかい?」

何も言えない私に、おじさんは真面目な顔で続ける。

「ぼくはね。占い師なんだよ」

ちょっと時が止まった。
すかさずおばさんが「この人、ちょっと有名な占い師なのよ」と付け足す。
どうやら予約は数年待ち、芸能人も占ってもらいに来るほど高名な方らしい。
その高名な占い師さんが「特別にあなたを占ってあげよう」なんて言い出すもんだから……

胡桃割るモデルハウスのような声
               ふみや

私はいわゆる「出来の悪い子」だった。
九九をおぼえたのは小5の時だし、漢字だってほとんど書けず、授業中はいつもぼんやりしていたし、人と話すのも極度に苦手で場面緘黙児かと心配されるくらい引っ込み思案の子どもだった。

固まっている私を置き去りに、おじさんは淡々と私の未来を告げていく。

「……まとめると、きみは大器晩成型だね。大人になるほど幸せになるよ」

今のことさえぼんやりしているのに将来のことを言われてもまったくピンとこなかったけど、帰り道、母は嬉しそうに私の将来を語り、『大器晩成』の意味を教えてくれた。
「よかったね」と、安心したように何度も言いながら。

『大器晩成』は私が初めて覚えた四字熟語だったかもしない。
すぐにこの言葉を大事にしようと決めたわけではないけれど、成長するにつれ、そのほかの予言が次々あたって、「うわ、これって」「あ、これも」と思うことが続いていって。
いつからか、苦しいときは「タイキバンセイ、タイキバンセイ」と呪文のように唱えるようになっていた。
もちろん私にとっての大器晩成は、歴史に名を残すような大物になるってことじゃない。
ただ、晩年は幸せになれる、っていうそれだけのこと。
うまくいかないことがあっても「私は大器晩成なんだ。きっとこれから幸せになれるんだ」と思うことで、さほど思いつめずに済んできたのだ。
50代後半になってもまだ信じているなんておかしな話かもしれないけれど、でも、そのおかげで、3月に職場が閉鎖し4月から無職になることが確定した今日も、なんとか前向きでいられている。
いや、むしろちょっと楽しみなのかもしれないな。

ばつた跳ぶ大器晩成てふ未来
                ふみや

村瀬ふみや
北海道千歳市在住
「雪華」会員 俳誌「ASYL」同人
2024年第57回北海道俳句協会賞