第45回現代俳句評論賞 解題
俳句になったデューラー
── 中村草田男「騎士」の新解釈 ──

👤汐海治美

はじめに

私が、元木幸一氏による「俳句になったデューラー ―─ 中村草田男作『騎士』の新解釈 ─―」の「解題」を引き受けたのは、元木氏の受賞論文が、そのままオフィス汐(※注1)での第3回講演会が元になっているからです。オフィス汐の場がなければ書かれなかったかもしれない論文であり、しかもその場を提供し、いち早くこの草田男論を「生徒」として聞かせて頂いた者の務めとして、受賞を心から祝し、この解題を書かせて頂きます。
(※注1)2023年開設 代表汐海治美 一棚オーナー制の私設会員制図書館 講演会が義務となっている

さてこの「解題」を書き始めたのは8月10日。ちょうど朝日新聞の「風信」欄の元木氏受賞記事(「朝日新聞」2025年8月10日付)の真上で、市村栄理氏が終戦忌に当たり草田男を引用しておられるではありませんか!

時は昭和19年、戦況が困難を極める戦時体制下。既に草田男の「ホトトギス」への投句はやんでいます。引用されたのは、成蹊高校の教師として、出征する教え子を戦場に送り出すことになった際の2句と、有名な「勇気こそ地の塩なれや梅真白」です。

この句は、古く山本健吉が(※注2)「聖書から出て、彼はみごとに反基督ニーチェの言葉に転換した」と述べた(後に取り消した)後の引用、自句自解によれば「地の塩とは」「他者によって価値づけられるものではなくて自らが価値の根源であるもの」とした句です。戦禍の不条理に立ち向かうに、何ものにも拠らない自らの「勇気」が主体的に示された句です。
(※注2)『現代俳句』角川文庫

ここで論じるデューラー13句もまた昭和19年作。草田男が「勇気」を詠んだ年です。その「勇気」の中身が実はこの連作に示されているとすれば、驚くほかありません。

元木氏の論の新しさ

元木氏は研究者ですから、奇をてらった論じ方はしません。ご自身の専門であるデューラーの銅版画≪騎士と死と悪魔≫を分析し、かつ中村草田男の連作俳句『騎士』13句を分析し、すべて手の内を読者に示したうえで、そこから一つの結論を仮説として提示する、研究論文の王道をいくものです。小・中学校で言語技術を教えた者として、あまりにも当たり前の、しかし目の覚めるような、中村草田男論のこれまでの論説の「上書き」(=新しさ)と言えるものでしょう。

これまで草田男は、昭和の芭蕉として、人間探究派として、クリスチャンの俳人として読み解かれてきましたが、『騎士』13句の解釈は、芳賀徹等を除きほぼなされていないとのことです。なされたとしても、冒頭部『蜥蜴』が引かれるのみでした。その扱われ方は、草田男が1枚の版画に13句の連作を作り上げるという誠実な対象への向き合い方とそれこそ対照的ではありませんか。

もちろんそれには理由があります。13句の正確な読み解きには、デューラーの銅版画の解釈がそこに必要となるからです。加えて、絵の分析とはいかなるものか、西洋美術史の専門家を除けば、一般に訓練を受けた者はいません。古い版画の解釈は難しいのです。(現に草田男自身の間違いも元木氏は指摘しています─―第10句)

つまり、俳句の解釈にデューラーの絵の分析を取り入れたこと、それがこの論の新しさ、誰もなしえなかったことなのです。巨大な草田男という山に登る入口です。

ではそれによって何が発見され、中村草田男像はどのように「上書き」されたでしょうか。

まず新しい発見は

一つに句の「騎士」とは虚子その人、「蜥蜴」とは中村草田男本人を指すということ

二つに「亡き茅舎が改革者デューラーと虚子を同列に置きたかったように、草田男自身もかつてはそのように願ったこと」、それにもかかわらず

三つに「戦況悪化する時代の中で、『徹底』しきれない師虚子への批判」

です。

それぞれはこれまで指摘されることがあっても、デューラー13句を踏まえての指摘はなかったでしょう。元木氏は、句に現れる騎士と反対方向に独り進む「蜥蜴」を自分に、主役の「騎士」を虚子に、さらに「死神と悪魔」は「戦時体制を推進」し、草田男を「ホトトギス」から追い出した「先輩たち」や「小野撫子がそれらに当たるのではあるまいか」と推測するのです。

そして、それらの発見によって上書きされたのは、師高浜虚子を批判するに至るまでの中村草田男の芸術(文学)への志向です。

虚子よ、あなたは版画の騎士のごとく、亡き茅舎を背負って自らの提唱した「花鳥諷詠」をもっと徹底せよ。自分はあなたとは別の道を行く。権力を恐れず、偉大なる芸術家デューラーの如く進んで行く。

草田男はこの芸術(文学)志向を、「連作」という仕掛けに託します。デューラー版画『騎士』を13句という連作で詠むという手法こそ、「花鳥諷詠とは異なる文学世界を構成する」ための「手段」であったと元木氏は言うのです。

中村草田男は、デューラーの1枚の版画を13句の連作として様々な角度から詠みました。対象はデューラーですが、そこには、決別した巨大なる虚子がいます。戦時中の言葉にできぬ虚子への思いを「デューラー版画に託して表現した」と元木氏は結論付けるのです。

元木氏の面白さ

例えば、クリティカルライティングでは、冒頭部はさりげなく、しかし結論を暗示するのが普通ですが、ここでも元木氏は虚子の訪欧についてちくりと物申し、その後の論の行方を示唆しています。曰く、

虚子はヨーロッパ各地を巡りながら、結局は絵の一つも句に詠まず「当地在住の日本人を集めて句会を催す」だけで満足していた

留学しドイツのホンモノの美術に圧倒された元木氏にとっては、フンパンモノではないか(と推測します)。翻って中村草田男はどうだというわけです。

そこから始まり、圧巻(!)は「きし(騎士)」とは「きょし」のことだと気が付くところです。草田男の「くさった男」どころか音読みの「草田男=そうでない男」の自称ぐらい苦しいのですが、半辛と号する氏らしい解釈です。

その半辛氏の句から 治美選

朝顔棚極楽への阿弥陀くじ(「サンデー毎日」2023俳句王受賞)
ピアノに鯨のウィンク
君の耳朶に深海の群青
草刈もせず大花野
春霙ゴシック体で降り注ぐ

最後に

最後に私の元木幸一像ですが、実は漱石の『三四郎』です。主人公三四郎は、きっとそのまま勉強を重ね、いずれ母校東京大学の教授になったでしょう。純朴かつ誠実、お茶目な姿が私の「三四郎」観(あくまで私の)、決して『坊ちゃん』『それから』ではありません。それでこんな句を詠んでみました。

白シャツきて小声で友は受賞を告げる
                 治美

清潔な白シャツの君、漱石の三四郎の趣のある君は、自らの受賞を小声で私に告げます。大学時代を経てその後ほとんど付き合いのなかった君は、どんなに素敵な教師になられ、その半生を捧げられたかを思いつつ、最後に到達された中村草田男論にかつてと同じく三四郎の趣を拝見し、心から受賞のお祝いを申し上げる次第です。

汐海治美
「宮城県詩人会」会員(事務局)
「青穂」同人「花野句会」会員
オフィス汐代表 聖ウルスラ学院顧問